改訂新版 世界大百科事典 「トゥガンバラノフスキー」の意味・わかりやすい解説
トゥガン・バラノフスキー
Mikhail Ivanovich Tugan-Baranovskii
生没年:1865-1919
帝政末期のロシアの経済学者,社会主義者。ツガン・バラノフスキーともよぶ。ウクライナのハリコフ近郊に生まれた。はじめ自然科学,法学を学んだが,のち経済学に転じた。1895年以降,ペテルブルグ大学講師,キエフ大学法学部長などを歴任。処女論文(1890)でベーム・バウェルクの限界効用理論をロシアに紹介し,これと労働価値説との総合を試みた。《英国恐慌史論》(1894)では産業部門間の不均衡に恐慌の原因を求め,〈近代景気循環理論の父〉という評価を得た。また《過去および現在におけるロシアの工場》(1898)でロシア経済の資本主義化を歴史的に実証し,〈合法的マルクス主義者〉として,これを否定するナロードニキを批判した。20世紀初頭,史的唯物論の理論的検討と批判を進め,カントの影響を受けた独自の社会主義思想を展開,これを現実化するものとして協同組合への関心を深めた。のちにその指導的理論家,活動家となり,東欧諸国の協同組合運動に影響を与えた大著《協同組合の社会的基礎》(1916)を書き,1917年全ロシア協同組合会議議長に選ばれた。また彼の経済学を集大成した《経済学原理》(1909)は当時,経済学のテキストとして広く読まれた。十月革命後はウクライナの反革命組織に関係するが,1919年パリへの亡命途上,オデッサ近郊で没した。
執筆者:小島 修一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報