ストルーベ(読み)すとるーべ(英語表記)Пётр Бернгардович Струве/Pyotr Berngardovich Struve

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ストルーベ」の意味・わかりやすい解説

ストルーベ
Struve, Pëtr Berngardovich

[生]1870.1.26. ペルミ
[没]1944.2.26. パリ
ロシアの経済学者,政治家,評論家。ペテルブルグ大学卒業。 1890年代の合法マルクス主義の活動家として『新しい言葉』 Novoe slovoなど多くの雑誌を編集,ナロードニキ批判した論文『ロシアの経済的発展に関する問題の批判的覚え書』 Kriticheskie zametki k voprosu ob ekonomicheskom razvitii Rossii (1894) はブルジョア的理論として V.I.レーニンの批判の対象となった。また 1898年ロシア社会民主労働党創立宣言を起草したが,その後マルクス主義の批判者に転じ,1905年立憲民主党 (カデット) 創立に際し中央委員,07~17年ペテルブルグ高等工業学院教授,17年以降ロシア科学アカデミー会員。十月革命後は反革命政府に参加したのちプラハ,さらにパリへ亡命主著にはほかに『経済と価格』 Khozyaistvo i tsena (1913~16) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ストルーベ」の意味・わかりやすい解説

ストルーベ
すとるーべ
Пётр Бернгардович Струве/Pyotr Berngardovich Struve
(1870―1944)

ロシアの文筆家。社会民主主義者として出発し、著書『ロシアの経済発展の問題に対する批判的覚書』(1894)でナロードニキ理論を批判。ロシア社会民主労働党の結成宣言を起草するなど、同党と関係をもつが、その立場は当時、合法マルクス主義とよばれた。20世紀初頭にかけて社会民主主義から自由主義の立場に移り、自由主義派の政治誌『オスボボジジェーニエ(解放)』の編集人となり、1905年にカデット(立憲民主党)の結成に参画した。09年に論集道標』の編集人かつ共著者となった。革命に反対し、内戦期に南ロシアの白衛軍政権に加わったのち、パリに亡命し、同地で死去した。

[原 暉之]

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