日本歴史地名大系 「吉久新村」の解説 吉久新村よしひさしんむら 富山県:高岡市旧射水郡小矢部川右岸地区吉久新村[現在地名]高岡市吉久一丁目庄川下流右岸、宮中新(みやなかしん)村の北方に位置。明暦元年(一六五五)吉久村領のうちで村立てし、無高村であった。文政八年(一八二五)二上組、天保一〇年(一八三九)以降下東条組に属した。在郷町として営業を認められた町立てで、人家は吉久御蔵屋敷の南、高岡と放生津(ほうじようづ)(現新湊市)を結ぶ往来道に沿って集まっていた(「堀川并土居川除之分間絵図」高樹文庫)。当村は御蔵稼など諸商売・諸稼に従事する頭振によって構成された(「諸商売致来候所々等詮義書」折橋家文書)。寛保二年(一七四二)の頭振数は八〇(「高免等書上帳」折橋家文書)、天保四年には家数一〇一に増加した(「家数調理帳」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報