日本歴史地名大系 「牧野村」の解説
牧野村
まぎのむら
相模川上流域と
年未詳四月二一日将軍足利義詮書状(県史三)に、亡父尊氏が鎌倉
近世は初め幕府直轄領、寛文四年(一六六四)久世(のち下総関宿藩)領、貞享元年(一六八四)幕府直轄領、文政一一年(一八二八)小田原藩領。この間、元和二年(一六一六)青根村を分立させた(同年「牧野村新畑改帳写」・正保二年「津久井領郷村水帳請取帳写」小川文書)。元禄年間津久井領諸色覚書(県史六)によれば田四町一反余、畑二五五町七反余、新田畑五町九反余、かや畠一一町七反余。
牧野村
まきのむら
牧野村
まぎのむら
那珂川の左岸に位置し、対岸
近世はおおむね常陸谷田部藩領。枝村として
牧野村
まきのむら
- 千葉県:佐原市
- 牧野村
下総台地北部に位置し、北は佐原村。集落は丘陵地に形成され、水田はおもに南方の
牧野村
まきのむら
牧野村
まきのむら
牧野村
まきのむら
牧野村
まぎのむら
- 山形県:上山市
- 牧野村
牧野村
まきのむら
- 愛知県:豊川市
- 牧野村
慶長一五年(一六一〇)新城藩領となり、正保二年(一六四五)幕府領、天和元年(一六八一)鳥羽藩領、享保一〇年(一七二五)再び幕府領、同一七年旗本巨勢氏の知行所となって明治に至る。
牧野村
まきのむら
牧野村
まきのむら
牧野村
まぎのむら
牧野村
まきのむら
- 愛知県:津島市
- 牧野村
牧野村
まきのむら
牧野村
まきのむら
牧野村
まきのむら
牧野村
まきのむら
- 大阪府:泉南市
- 牧野村
牧野村
まきのむら
牧野村
まきのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報