日本歴史地名大系 「吉岡城跡」の解説 吉岡城跡よしおかじようあと 長野県:下伊那郡下條村吉岡村吉岡城跡[現在地名]下條村吉岡字本城吉岡の西方、吉岡台地に築かれた平山城。文明四年(一四七二)頃、下条康氏によって築城され、天正一五年(一五八七)まで、約一一〇年間にわたる同氏の居城(下条記)。城の南北は南の沢(みなみのさわ)と濁沢(にごりざわ)の渓谷によって隔絶され、西方は大山田(おおやまだ)神社のある鎮西野(ちんぜいの)の台地に連なり、東方は緩く傾斜して菅野(すげの)の台地に至る。城跡は四つの空堀によって西から東にかけて、出郭・本郭・二の郭・三の郭・城下に区分されている。 吉岡城跡よしおかじようあと 新潟県:佐渡郡真野町吉岡村吉岡城跡[現在地名]真野町吉岡雑太(さわた)城跡の南西六〇〇メートルほどの低位台地上にある。城の内(じようのうち)の先端部に土塁・堀跡が残り、城の内の脇には道場(どうじよう)・市場(いちば)の地字も残る。雑太本間氏より分れた久綱を祖とする吉岡本間氏(吉岡殿)の居館跡。久綱は「河崎村史料編年志」所収の弘安八年(一二八五)六月一日の佐渡守護北条宣時下知状によると、弘長三年(一二六三)三月二一日以前に「木浦守護代職」を得た人物で、木野浦(きのうら)郷(現小木町辺り)が当初の拠点であったと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by