吉岡銅山跡(読み)よしおかどうざんあと

日本歴史地名大系 「吉岡銅山跡」の解説

吉岡銅山跡
よしおかどうざんあと

[現在地名]成羽町吹屋・坂本

吹屋ふきや(鉱)山と通称され、戦国時代から江戸時代初頭にかけて石塔せきとう銅山・関東せきとう銅山とよばれた時期もあったという(「備中吹屋」町並調査報告書)。文化元年(一八〇四)の銅山相続次第書上案(大塚文書)によると、大同二年(八〇七)開坑と伝え、当初は黄金こがね山の背後、大深おおぶか谷で銀を採掘したという。「延喜式」主税寮に「凡鋳銭年料銅鉛者、備中国銅八百斤」と記される備中産の銅は当地産という説もあるが確証はない。前掲書上案では、銅採掘は南北朝時代末期に黄金山南麓で銅屋庄右衛門が開始したとある。以後永禄年間(一五五八―七〇)尼子氏の武将吉田六郎兼久が黄金山城に在城時、地元の大塚孫市・松浦五郎左衛門が中興、以降毛利氏・備中国奉行小堀氏・成羽藩山崎氏の支配を経て、幕府直轄下に入った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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