日本歴史地名大系 「吉沼村」の解説 吉沼村よしぬまむら 茨城県:筑波郡大穂町吉沼村[現在地名]大穂町吉沼小貝(こかい)川東岸に位置。対岸は大園木(おおぞのき)村(現結城郡千代川村)。筑波稲敷(つくばいなしき)台地西端の村で、村域には縄文中期の土器が出土した瓦塚(かわらづか)遺跡、直刀片が出土した熊野夫婦塚(くまのめおとづか)古墳がある。慶長一七年(一六一二)の関東八州真言宗連判留書案(醍醐寺文書)に「常州下妻荘吉沼」とみえ、「寛文朱印留」では仙台藩伊達氏領で、廃藩置県に至った。「各村旧高簿」によると、明治元年(一八六八)には仙台藩領二六五一・〇〇五石、八幡太(はちまんだい)神社領四石、天神大六太(てんじんだいろくだい)神社領二石、鹿島熊野社領三石、正福(しようふく)寺領五石、覚心(かくしん)寺領・大祥(だいしよう)寺領・金蔵(きんぞう)院領各三石があった。 吉沼村よしぬまむら 茨城県:水戸市吉沼村[現在地名]水戸市吉沼町那珂川の右岸にあり、北は川を隔てて勝倉(かつぐら)村(現勝田市)。安貞二年(一二二八)の酒戸・吉沼田地検注帳写(吉田神社文書)に「吉沼」、応永一二年(一四〇五)の吉田郷等田地検注目録写(吉田薬王院文書)に「安貞二年戊子田検注百姓名並目録事」として「吉沼郷」、文永二年(一二六六)の吉田社領家小槻有家下文写(吉田神社文書)に「吉田社領酒戸・吉沼・河崎等郷」、弘安六年(一二八三)の左兵衛尉某奉書写(同文書)に「吉田社領内吉沼村」などとみえる。上大野村東(かみおおのむらひがし)との境に新(しん)川があり、ここに六反田(ろくたんだ)村(現東茨城郡常澄村)六地蔵(ろくじぞう)寺恵範の「大野郷極楽橋勧進疏」(諸草心車集)にみえる極楽(ごくらく)橋が架かる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by