日本歴史地名大系 「吉瀬村」の解説 吉瀬村きせむら 長野県:駒ヶ根市吉瀬村[現在地名]駒ヶ根市中沢(なかざわ) 吉瀬西は天竜川で、その支流中田切(なかたぎり)川口の対岸にあたる。南は日曾利(ひつそり)(現飯島町)と接し、高遠藩の「従是北高遠領」の分杭があり、北から東にかけては菅沼(すがぬま)村・永見山(ながみやま)村に接する川端の山村。天正一九年(一五九一)の信州伊奈青表紙之縄帳に村高は「百四拾壱石四斗三升五勺 木瀬」とあるのが文献上の初見である。天竜川の東沿岸沿いの南北に通ずる交通路にあたり、また対岸の赤須(あかず)との渡し場があり、天竜川通船の船着場でもあった。 吉瀬村きせむら 茨城県:新治郡桜村吉瀬村[現在地名]桜村吉瀬台地上に位置し、北は古来(ふるく)村。江戸初期は麻生藩領で、「寛文朱印留」に村名が載る。元禄一二年(一六九九)土浦藩領となり(土浦市史)、元禄郷帳の村高は四一六石余で、「県方集覧」(酒井泉氏蔵)に「家数四拾六軒、人数弐百四人、外僧四人、馬拾四疋」とある。山林にある鹿島様(かしまさま)古墳(前方後円墳)上に旧村社鹿島神社が鎮座する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報