コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

吉田為経 よしだ ためつね

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉田為経 よしだ-ためつね

1210-1256 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
承元(じょうげん)4年生まれ。藤原資経(すけつね)の子。右少弁をへて,文暦(ぶんりゃく)元年左大弁となり蔵人頭(くろうどのとう)をかねる。嘉禎(かてい)2年参議にすすみ,宝治(ほうじ)2年正二位,中納言となる。九条道家,後嵯峨(ごさが)上皇に重用された。建長8年6月9日死去。47歳。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

吉田為経

没年:康元1.6.9(1256.7.2)
生年:承元4(1210)
鎌倉中期の公卿。父は参議資経,母は従四位上藤原親綱の娘。建保5(1217)年叙爵。肥前守,皇后宮権大進,勘解由次官を経て,嘉禄1(1225)年,父資経が参議を辞任する代わりに右少弁に任官。以後弁官を歴任して文暦1(1234)年に左大弁となり,蔵人頭を兼ねた。嘉禎2(1236)年に参議に昇り,2年後に権中納言となった。このころは九条家にも仕え,九条道家の執政をよく輔佐した。為経の順調な昇進は,道家の援助を得てのことだろう。やがて後嵯峨上皇が院政を始めるが,為経はやはり重用され,評定衆・伝奏を務め,近江国,和泉国を知行国としている。

(本郷和人)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

吉田為経の関連キーワード藤原経任(2)最助法親王葉室資頼三条実躬菅原為長鎌倉時代

今日のキーワード

分水嶺

1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。2 《1が、雨水が異なる水系に分かれる場所であることから》物事の方向性が決まる分かれ目のたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android