吉田為経(読み)よしだ・ためつね

朝日日本歴史人物事典 「吉田為経」の解説

吉田為経

没年:康元1.6.9(1256.7.2)
生年承元4(1210)
鎌倉中期の公卿。父は参議資経,母は従四位上藤原親綱の娘。建保5(1217)年叙爵。肥前守,皇后宮権大進,勘解由次官を経て,嘉禄1(1225)年,父資経が参議を辞任する代わりに右少弁任官。以後弁官を歴任して文暦1(1234)年に左大弁となり,蔵人頭を兼ねた。嘉禎2(1236)年に参議に昇り,2年後に権中納言となった。このころは九条家にも仕え,九条道家の執政をよく輔佐した。為経の順調な昇進は,道家の援助を得てのことだろう。やがて後嵯峨上皇院政を始めるが,為経はやはり重用され,評定衆伝奏を務め,近江国,和泉国を知行国としている。

(本郷和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田為経」の解説

吉田為経 よしだ-ためつね

1210-1256 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
承元(じょうげん)4年生まれ。藤原資経(すけつね)の子。右少弁をへて,文暦(ぶんりゃく)元年左大弁となり蔵人頭(くろうどのとう)をかねる。嘉禎(かてい)2年参議にすすみ,宝治(ほうじ)2年正二位,中納言となる。九条道家,後嵯峨(ごさが)上皇に重用された。建長8年6月9日死去。47歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android