朝日日本歴史人物事典 「吉田為経」の解説
吉田為経
生年:承元4(1210)
鎌倉中期の公卿。父は参議資経,母は従四位上藤原親綱の娘。建保5(1217)年叙爵。肥前守,皇后宮権大進,勘解由次官を経て,嘉禄1(1225)年,父資経が参議を辞任する代わりに右少弁に任官。以後弁官を歴任して文暦1(1234)年に左大弁となり,蔵人頭を兼ねた。嘉禎2(1236)年に参議に昇り,2年後に権中納言となった。このころは九条家にも仕え,九条道家の執政をよく輔佐した。為経の順調な昇進は,道家の援助を得てのことだろう。やがて後嵯峨上皇が院政を始めるが,為経はやはり重用され,評定衆・伝奏を務め,近江国,和泉国を知行国としている。
(本郷和人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報