吉田経房(読み)よしだつねふさ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉田経房」の意味・わかりやすい解説

吉田経房
よしだつねふさ

[生]康治2(1143)
[没]正治2(1200).閏2.11.
平安時代末期~鎌倉時代初期の廷臣光房の子。左大弁参議民部卿中納言などを経て,建久9 (1198) 年大納言となった。源頼朝親交があり,朝議を司る議奏公卿の一員に指名された。日記『吉記』がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「吉田経房」の意味・わかりやすい解説

吉田経房 (よしだつねふさ)

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世界大百科事典(旧版)内の吉田経房の言及

【関東申次】より

…いかなる人物がその任にあたり,いかなる活動を示すかは,その時々の朝廷と幕府との政治的な力関係によって左右された。たとえば源頼朝の時代には,もっぱら院伝奏の吉田経房が朝幕間の単なる取次ぎにあたり,承久の乱後は,重要事項については将軍頼経の父である九条道家が交渉にあたり,小事は院司が取り次ぐといったぐあいであった。やがて1246年(寛元4)幕府が西園寺実氏を関東申次に指名したことによってその制度が確立し,以後関東申次の地位は実氏―実兼―公衡―実兼(再任)―実衡―公宗と西園寺家の正嫡に受け継がれていったが,このことは鎌倉時代中・後期における西園寺家の隆盛をもたらすことになった。…

【藤原経房】より

…平安末~鎌倉初期の公卿。権右中弁藤原光房の男。その居所により吉田を称した。1150年(久安6)摂関家の家司から六位蔵人に出身し,伊豆,安房の守を歴任,ついで蔵人,左衛門権佐,左少弁を兼帯し,さらに権右中弁,右中弁,内蔵頭,左中弁,蔵人頭,右大弁を経て,81年(養和1)参議に昇り,左大弁を兼ねた。この官歴は経房が有能な実務官僚であったことをよく物語っており,その後も累進して正二位権大納言に至った。その間,後白河上皇の信任も厚く,さらに鎌倉に幕府を開いた源頼朝も経房を深く信頼して朝幕間の斡旋を委任し,議奏公卿に推挙した。…

※「吉田経房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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