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吉益南涯 よします なんがい

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美術人名辞典の解説

吉益南涯

江戸後期の医者。名は猷、字は修夫、周介と号する。東洞の長子。文化10年(1813)歿、64才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉益南涯 よします-なんがい

1750-1813 江戸時代中期-後期の医師。
寛延3年生まれ。吉益東洞の子。京都で父の医業をつぐ。天明8年の大火で一時大坂にうつり,のち京都にかえる。父の万病一毒説を修正して気血水説をとなえた。文化10年6月13日死去。64歳。名は猷。字(あざな)は修夫。通称は大助,周助。初号は謙斎。著作に「傷寒論精義」「医範」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吉益南涯
よしますなんがい

[生]寛延3(1750).京都
[没]文化10(1813).6.13. 京都
江戸時代中期の医家。吉益東洞の長男。 24歳のとき父の死去で医業を継ぐ。天明8 (1788) 年京の大火で大坂に移り,43歳のとき再び京都に帰った。父の万病一毒説を補充し,毒は気,血,水に現れるので,薬もそれぞれに作用するものを用いなければならないとし,『気血水薬徴』を著わした。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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