吉益南涯(読み)よしますなんがい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉益南涯」の意味・わかりやすい解説

吉益南涯
よしますなんがい

[生]寛延3(1750).京都
[没]文化10(1813).6.13. 京都
江戸時代中期の医家。吉益東洞の長男。 24歳のとき父の死去で医業を継ぐ。天明8 (1788) 年京の大火で大坂に移り,43歳のとき再び京都に帰った。父の万病一毒説を補充し,毒は気,血,水に現れるので,薬もそれぞれに作用するものを用いなければならないとし,『気血水薬徴』を著わした。ほかに『医範』『傷寒論精義』『方機』などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉益南涯」の解説

吉益南涯 よします-なんがい

1750-1813 江戸時代中期-後期の医師。
寛延3年生まれ。吉益東洞の子。京都で父の医業をつぐ。天明8年の大火で一時大坂にうつり,のち京都にかえる。父の万病一毒説を修正して気血水説をとなえた。文化10年6月13日死去。64歳。名は猷。字(あざな)は修夫。通称は大助,周助。初号は謙斎。著作に「傷寒論精義」「医範」など。

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