日本歴史地名大系 「吉藤村」の解説 吉藤村よしふじむら 愛媛県:松山市北西海岸地域(旧和気郡地区)吉藤村[現在地名]松山市吉藤一―五丁目松山平野の北平坦部に位置する農村。北方と東方に高縄(たかなわ)山塊を負い、西部は低平である。東は下伊台(しもいだい)村、西は長戸(ながと)村、南は姫原(ひめばら)村、北は谷(たに)村に接する。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の和気(わけ)郡の項に「吉藤村 林山有」と記されている。この村の潮見(しおみ)温泉の地から弥生前期の土器が出土し、また周辺の地域が早くから開発されていたことによって、二―四世紀に農耕生活が営まれていたと考えられる。古代には、和気郡姫原郷(和名抄)に属したと考えられる。 吉藤村よしふじむら 愛知県:尾西市吉藤村[現在地名]尾西市明地(めいち)東は古(ふる)川(萩原川ともいい今はなし)、西は祐久(ゆうく)・阿古井(あこい)の村々に接する。村内の神社として字鞆の地に鞆江(ともえ)神社があり、この社は式内社で、尾張国神名帳には、中島郡四八座のうち「正一位 鞆江名神」とある。さらに「神鳳鈔」にある「玉江御厨」も、この辺りをさすものとみられる。青蓬山神江(しんこう)寺は曹洞宗で、神江(ともえ)という地名もある。江戸時代の概高一千一六一石余で、うち藩の蔵入地は九二石六斗余で、他は給知、天保一二年(一八四一)には一九人の給人によって分給されていた(天保村絵図)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by