吉見嶽城跡(読み)よしみがたけじようあと

日本歴史地名大系 「吉見嶽城跡」の解説

吉見嶽城跡
よしみがたけじようあと

[現在地名]久留米市御井町

戦国期にみえる城郭高良こうら山から北西に延びる尾根(最高部標高約一七五メートル)に位置する。天文年間(一五三二―五五)には八尋式部(高良山に組織された地侍層でもあろうか)が在城していたという(筑後将士軍談)。のち各地の軍勢が高良山に在陣する際に当城は活用されたらしく、永禄一二年(一五六九)一月肥前の龍造寺氏を討つために軍勢を率いて筑後へ進出した大友宗麟が在城している(北肥戦誌)。天正一五年(一五八七)豊臣政権による九州平定の途上薩摩へ向かう豊臣秀吉が四月一一日当城を陣所としたと伝え(筑後将士軍談)、龍造寺氏の当主政家は当城で謁見をしたと考えられる(九州御動座記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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