日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉鴻昌」の意味・わかりやすい解説
吉鴻昌
きっこうしょう / チホンチャン
(1895―1934)
中国の革命軍人。察綏(さつすい)(チャハル、綏遠(すいえん))抗日同盟軍の指導者の一人。字(あざな)は世五。河南(かなん/ホーナン)省扶溝(ふこう)県の出身。早くから馮玉祥(ふうぎょくしょう/フォンユイシヤン)の下にあり、1927年軍長となる。1930年馮が反蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)戦争を起こすと、そのなかばで蒋介石の中央軍に投じ、第二一軍軍長、寧夏(ねいか/ニンシヤ)省政府主席となる。1931年第二二路軍総指揮として、河南省南東部で工農紅軍の討伐に従ったが、満州事変勃発(ぼっぱつ)後辞任、ヨーロッパ、ソ連に赴いた。1932年第一次上海(シャンハイ)事変後帰国し、蒋介石の対日政策に反対して中国共産党に入党、1933年5月末、馮玉祥、方振武らと張家口(ちょうかこう/チャンチヤコウ)で察綏民衆抗日同盟軍を結成、第二軍軍長兼北路前敵総指揮に就任。その後抗日運動に従ったが、1934年11月天津(てんしん/ティエンチン)のフランス租界で逮捕され、国民党側に引き渡されたのち、軍事委員会北平分会の手で北平(北京(ペキン))で銃殺された。
[南里知樹]