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吉鴻昌 きつこうしょうJi Hong-chang

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吉鴻昌
きつこうしょう
Ji Hong-chang

[生]光緒21(1895).10.18. 河南,扶溝
[没]1934.11.24. 北京
中国の軍人。軍閥,馮 (ふう) 玉祥の部下として当初は蒋介石に協力したが,蒋の反共政策に同意できず,1933年,馮玉祥らが反蒋抗日のための民衆抗日同盟軍を華北で組織すると,その前線指揮官になった。

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世界大百科事典 第2版の解説

きつこうしょう【吉鴻昌 Jí Hóng chāng】

1895‐1934
中国の軍人。河南省扶溝県の人。少時徒弟となるも,18歳にして馮玉祥(ふうぎよくしよう)の軍に投じ,1929年には寧夏省主席にまでなった。満州事変後,抗日を主張し,蔣介石と衝突して外遊した。帰国後32年8月に中国共産党に入党,翌年5月馮玉祥,方振武と抗日同盟軍を組織してチャハル方面で多くの戦果をあげた。馮玉祥が脱落した後には抗日討蔣軍と改称して奮闘したが,捕らえられて34年11月に処刑された。南の蔡廷鍇とならぶ日中全面戦争前の抗日英雄である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吉鴻昌
きっこうしょう / チホンチャン
(1895―1934)

中国の革命軍人。察綏(さつすい)(チャハル、綏遠(すいえん))抗日同盟軍の指導者の一人。字(あざな)は世五。河南(かなん/ホーナン)省扶溝(ふこう)県の出身。早くから馮玉祥(ふうぎょくしょう/フォンユイシヤン)の下にあり、1927年軍長となる。1930年馮が反蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)戦争を起こすと、そのなかばで蒋介石の中央軍に投じ、第二一軍軍長、寧夏(ねいか/ニンシヤ)省政府主席となる。1931年第二二路軍総指揮として、河南省南東部で工農紅軍の討伐に従ったが、満州事変勃発(ぼっぱつ)後辞任、ヨーロッパ、ソ連に赴いた。1932年第一次上海(シャンハイ)事変後帰国し、蒋介石の対日政策に反対して中国共産党に入党、1933年5月末、馮玉祥、方振武らと張家口(ちょうかこう/チャンチヤコウ)で察綏民衆抗日同盟軍を結成、第二軍軍長兼北路前敵総指揮に就任。その後抗日運動に従ったが、1934年11月天津(てんしん/ティエンチン)のフランス租界で逮捕され、国民党側に引き渡されたのち、軍事委員会北平分会の手で北平(北京(ペキン))で銃殺された。[南里知樹]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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