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馮玉祥 ひょうぎょくしょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

馮玉祥
ひょうぎょくしょう

「馮玉祥 (ふうぎょくしょう)」のページをご覧ください。

馮玉祥
ふうぎょくしょう
Feng Yu-xiang

[生]光緒8(1882).11.6. 安徽
[没]1948.9.1. 黒海
中国の軍閥,政治家。「ひょうぎょくしょう」とも読む。キリスト教信者だったので,クリスチャンゼネラルとも呼ばれた。清末に保定武備学堂を卒業し,最初は安徽派,次に直隷派に属し,1922年河南督軍に任命された。

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デジタル大辞泉の解説

ひょう‐ぎょくしょう〔‐ギヨクシヤウ〕【馮玉祥】

ふうぎょくしょう(馮玉祥)

ふう‐ぎょくしょう〔‐ギヨクシヤウ〕【馮玉祥】

[1882~1948]中国の軍人・政治家。国民党に入り北伐に参加。反蒋介石運動を起こし除名された。抗日戦争中は復党。1946年に米国で反蒋を声明。帰途、事故死。夫人は李徳全。ひょうぎょくしょう。フォン=ユイシアン

フォン‐ユイシアン【馮玉祥】

ふうぎょくしょう(馮玉祥)

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百科事典マイペディアの解説

馮玉祥【ひょうぎょくしょう】

馮(ふう)玉祥

馮玉祥【ふうぎょくしょう】

中国,国民政府の軍閥政治家。安徽省の人。キリスト教徒であったので,クリスチャン・ゼネラルと呼ばれた。西北軍閥(北洋軍閥)の首領で,政権欲が強く,各派の間を泳いだが,1924年第2次奉直戦争では北京を占領,国民総司令となる。
→関連項目南漢宸馬鴻逵溥儀

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

馮玉祥 ふう-ぎょくしょう

1882-1948 中国の軍人,政治家。
光緒8年9月26日生まれ。西北軍閥の首領であったが,1926年国民党にはいり,北伐に協力,のち蒋介石と対立。日中戦争中は抗日を主張した。戦後,外遊先のアメリカ国共内戦反対,反蒋介石の声明を発表。帰国途中の1948年9月1日乗船の火災により死去。67歳。クリスチャン-ゼネラルとよばれた。夫人は李徳全。安徽(あんき)省出身。字(あざな)は煥章(かんしょう)。姓は「ひょう」ともよむ。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふうぎょくしょう【馮玉祥 Féng Yù xiáng】

1882‐1948
中国の軍閥。字は煥章。安徽省巣県の人。貧農の家に生まれたが,苦学力行してついには一時最高権力を手中にした。辛亥革命時,大隊長だった彼は革命軍に呼応せんとして失敗,妻の養父に助けられたが,民国時代に順調に勢力をのばし,1924年の第2次奉直戦後には国民軍総司令となって北京をおさえた。馮玉祥の力の源泉は,軍閥の常としての権謀に加えて,兵士の信頼と時流に対する敏感さにあった。彼は部下と同じ生活をして団結をかため,帝制,復辟,武力統一に反対したばかりでなく,清朝の廃帝を紫禁城から追放して辛亥革命にひとつの結末をつけたのである。

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大辞林 第三版の解説

ふうぎょくしょう【馮玉祥】

〔姓は「ひょう」とも〕 (1880~1948) 中国の軍人。クリスチャン-ジェネラルと呼ばれた。西北軍閥の首領で、国民党にはいり蔣介石の北伐に協力。のち反蔣、抗日運動を展開したが、事故死。李徳全はその夫人。フォン=ユイシアン。

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世界大百科事典内の馮玉祥の言及

【軍閥】より

…同年末の張学良の〈易幟(えきし)〉によって蔣介石による全国統一が完成するが,それは国民党の新軍閥化とむすびついていたのであって,南京国民政府は非北洋系軍閥の寄合所帯となったのである。西北の馮玉祥,山西の閻錫山(えんしやくざん),広西の李宗仁,広東の李済深がそれで,彼らは1929‐31年にかけて反蔣戦争を発動し,広東独立をおこなった。英米が蔣介石をおしたのに対し,反蔣派は日本にちかづいた。…

【中華民国】より

…ついで22年4月,直・奉両派が争って直隷派が勝利したが(第1次奉直戦争),やがて24年9月,奉天派がふたたび戦争をしかけて直隷派の支配をくつがえした(第2次奉直戦争)。奉天派の勝利は日本の後援,安徽派および南方勢力との同盟あってのことであったが,とりわけ勝利の決定的要素となったのは直隷派の驍将(ぎようしよう)馮玉祥(ふうぎよくしよう)の寝返りであった。反旗をひるがえした馮玉祥は北京を制圧して大総統曹錕(そうこん)を幽閉するとともに,清朝の皇族を紫禁城から追放した。…

【北伐】より

…第1回(1922年2月~6月)は桂林(のち韶関)に大本営をおき,湖南・江西に兵をすすめたが,吉安をおとしたところで陳炯明(ちんけいめい)のクーデタが起こり失敗に終わった。第2回(1924年9月~11月)は韶関に大本営をおき,4万~5万の兵(建国軍)を率いて江西に出たが,馮玉祥(ふうぎよくしよう)の北京政変で直隷派が政権をおわれたため中断された。孫文はこの局面を〈国民革命の新時代〉ととらえ,北方に対して国民会議による統一をよびかけるにいたる。…

【李徳全】より

…河北省出身。牧師の娘に生まれ,1925年西北軍閥の頭領でクリスチャン・ゼネラルと呼ばれた馮玉祥(ふうぎよくしよう)と結婚,抗日戦中は重慶で婦女慰労総会を指導。49年中華人民共和国成立とともに民主人士として国務院衛生部長(衛生相)に任ぜられ,中国紅十字会会長を兼任。…

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