中国の軍閥政治家。「ひょうぎょくしょう」とも読まれる。安徽(あんき)省出身。民主化の方向を志向し、クリスチャン将軍とよばれた。初めは段祺瑞(だんきずい)(安徽派)に従い、のち直隷(ちょくれい)派に接近、1924年10月、北京(ペキン)で突如兵変を起こし、自ら国民軍と称して直隷派の曹錕(そうこん)を追い、一時、北方の実権を握った。1926年、国民党に入って西北国民軍総司令となった。1928年北伐に呼応して奉天軍を追い、国民党中央執行委員となったが、1930年には反蒋介石(しょうかいせき)運動を展開し失敗して除名された。抗日戦争中は復党し、重慶(じゅうけい)にあって蒋介石のもとで軍事委員長に任じた。しかし蒋のファッショ化には反対した。1946年外遊してアメリカで反蒋声明を発表、1949年人民政治協商会議に参加するため、当時のソ連経由で帰国の途中、黒海で乗っていた船の火災のため死去した。なお、夫人の李徳全(りとくぜん)は中華人民共和国初代の衛生部長、中国紅十字会長に任じた。
[安藤彦太郎]
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中国の軍閥。字は煥章。安徽省巣県の人。貧農の家に生まれたが,苦学力行してついには一時最高権力を手中にした。辛亥革命時,大隊長だった彼は革命軍に呼応せんとして失敗,妻の養父に助けられたが,民国時代に順調に勢力をのばし,1924年の第2次奉直戦後には国民軍総司令となって北京をおさえた。馮玉祥の力の源泉は,軍閥の常としての権謀に加えて,兵士の信頼と時流に対する敏感さにあった。彼は部下と同じ生活をして団結をかため,帝制,復辟,武力統一に反対したばかりでなく,清朝の廃帝を紫禁城から追放して辛亥革命にひとつの結末をつけたのである。また,ソ連と結び,国民革命に呼応したが,国民政府時代にはほぼ反蔣介石の立場にたった。抗日戦後に訪米して反蔣の旗幟を鮮明にしたが,48年9月,ソ連船中で火災にあい焼死した。馮玉祥はクリスチャン・ゼネラルとしても有名。後妻の李徳全は解放後,中国紅十字会会長等の要職についた。
執筆者:狭間 直樹
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1882~1948
中国の軍人。安徽(あんき)省巣県の人。旧西北軍閥の首脳で,初め他の軍閥と関係を持ったが,国民党に入り北伐に加担した。のち蒋介石(しょうかいせき)反対運動を行い,48年アメリカから帰国する船が火災にあい,事故死した。クリスチャン・ジェネラルと呼ばれた。
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…同年末の張学良の〈易幟(えきし)〉によって蔣介石による全国統一が完成するが,それは国民党の新軍閥化とむすびついていたのであって,南京国民政府は非北洋系軍閥の寄合所帯となったのである。西北の馮玉祥,山西の閻錫山(えんしやくざん),広西の李宗仁,広東の李済深がそれで,彼らは1929‐31年にかけて反蔣戦争を発動し,広東独立をおこなった。英米が蔣介石をおしたのに対し,反蔣派は日本にちかづいた。…
…ついで22年4月,直・奉両派が争って直隷派が勝利したが(第1次奉直戦争),やがて24年9月,奉天派がふたたび戦争をしかけて直隷派の支配をくつがえした(第2次奉直戦争)。奉天派の勝利は日本の後援,安徽派および南方勢力との同盟あってのことであったが,とりわけ勝利の決定的要素となったのは直隷派の驍将(ぎようしよう)馮玉祥(ふうぎよくしよう)の寝返りであった。反旗をひるがえした馮玉祥は北京を制圧して大総統曹錕(そうこん)を幽閉するとともに,清朝の皇族を紫禁城から追放した。…
…第1回(1922年2月~6月)は桂林(のち韶関)に大本営をおき,湖南・江西に兵をすすめたが,吉安をおとしたところで陳炯明(ちんけいめい)のクーデタが起こり失敗に終わった。第2回(1924年9月~11月)は韶関に大本営をおき,4万~5万の兵(建国軍)を率いて江西に出たが,馮玉祥(ふうぎよくしよう)の北京政変で直隷派が政権をおわれたため中断された。孫文はこの局面を〈国民革命の新時代〉ととらえ,北方に対して国民会議による統一をよびかけるにいたる。…
…河北省出身。牧師の娘に生まれ,1925年西北軍閥の頭領でクリスチャン・ゼネラルと呼ばれた馮玉祥(ふうぎよくしよう)と結婚,抗日戦中は重慶で婦女慰労総会を指導。49年中華人民共和国成立とともに民主人士として国務院衛生部長(衛生相)に任ぜられ,中国紅十字会会長を兼任。…
※「馮玉祥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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