日本歴史地名大系 「名残村」の解説 名残村なごりむら 静岡県:浜松市旧敷知郡・引佐郡地区名残村[現在地名]浜松市和地山(わじやま)三丁目・城北(じようほく)二―三丁目・布橋(ぬのはし)一―二丁目・文丘町(ふみおかちよう)・鹿谷町(しかたにちよう)・広沢(ひろさわ)一丁目東追分(ひがしおいわけ)村の東に位置し、南は浜松城下。元禄郷帳には名残追分(なごりおいわけ)新田村とみえ、高二五石余。名残追分新田村は名残村・東追分村・西追分村三村にあたる。国立史料館本元禄郷帳では浜松藩領。明和九年(一七七二)の城附領分村々高帳写では名残村として高一〇六石余。天保郷帳に記載はないが、塩(しお)町に古くは米津(よねづ)村・塩町・名残追分新田村と注記がある。 名残村なごりむら 福岡県:宗像市旧宗像市地区名残村[現在地名]宗像市名残・葉山(はやま)一―二丁目・自由(じゆう)ヶ丘南(おかみなみ)一―四丁目・広陵台(こうりようだい)一―四丁目・桜(さくら)一丁目宗像郡の東部に位置する丘陵地にあり、北東は藤原(ふじわら)村など、東は鞍手(くらて)郡上有木(かみあるき)村(現宮田町)。古くは常世(とこよ)村といったと伝える(続風土記)。天正一三年(一五八五)二月吉日の宗像宮僧座着座次第写に「名残村院主当社供僧也」がみえ、当村にあった寺院の院主は宗像社の社僧であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報