改訂新版 世界大百科事典 「イナゴ」の意味・わかりやすい解説
イナゴ (稲子)
日本でもっともふつうに見られる代表的なバッタの一つ。水田の害虫として知られる。和名のイナゴはイネにつく虫の意で,直翅目バッタ科イナゴ属Oxyaに属する昆虫を総称していう。アフリカ大陸から東南アジアを経て,日本や沿海州に至る地域に広く分布し,18種が知られている。日本では,本州以南に見られるコバネイナゴO.japonica japonicaやハネナガイナゴO.chinensisが代表的で,ほかに北海道や東北地方にすむエゾイナゴO.yezoensisや琉球諸島以南にすむコイナゴO.hyla intricataが知られている。体長は,おおむね雄で17~33mm,雌で20~40mm,コイナゴはこれよりやや小さめである。どの種も,紅褐色の複眼と,その後方から前胸背にかけて走る黒い帯のほかは黄緑色ないし明緑色で,ときに褐色がかることもあるが,全体として色彩がイネ科植物によく似た保護色をしている。その他の形態も互いによく似ていて,種の判別はむずかしい。コバネイナゴでは,前翅がかなり短くなることもあるが,おおよそ腹端を少し越える程度。ハネナガイナゴはこれより少し長めである。日本内地の種では,成虫は年1回の発生,夏から秋にかけて現れ,卵は秋に地中やイネ科植物の根ぎわなどに泡に包んで卵塊として産みつけられ,そのまま越冬する。5~6月に孵化(ふか)し,6~7回の脱皮を経て,7~9月に成虫となる。
イネを食害するので,ウンカやニカメイチュウとともにイネの大害虫として知られ,第2次世界大戦前の日本での被害は莫大なものであった。各地の農村に伝わる虫送りの行事は,これらイネの害虫を退治したいという農民のせつなる願望を示すものであった。実際の対策としては,全国的規模で田のあぜなどに産み込まれた卵塊を掘りあげたり,成虫を捕獲して駆除するなどを行った。1950年代からのパラチオンなど強力な農薬の散布以後は,急激に個体数が減り,害虫としては目だたなくなった。結果として本来のすみ場であった河原の草地などに細々と残って生活しているが,水田を休耕田にし農薬散布を中止すると,再び勢力を盛り返すので,絶えず害虫としての監視は必要である。
日本では,古くからイナゴは庶民の動物タンパク質源として食用にされてきた。ときにはニワトリなどの餌にもすることがある。
なお,伝統的に日本では聖書や欧米の文学書を翻訳する際,飛蝗(ひこう),蝗(トノサマバッタ,サバクトビバッタなど)のことを〈イナゴ〉と訳してきた。これは〈バッタ〉と訳すべきものであって,本項の〈イナゴ〉には該当しない。この飛蝗は中国,アフリカなどで昔から大害を与えてきている。
→バッタ →飛蝗
執筆者:山崎 柄根
民俗
イナムシ,オオネムシの名もある。水稲の成熟期に稲穂に群がるところからこの名が出たのであろう。農民はこれを採集し,いってしょうゆ,砂糖などで味をつけ食用とした。《守貞漫稿》にはそれを売り歩いたイナゴ売の記事があり,こうした行商人は近代まで見られた。古語で〈いなむし〉と呼んだのはイナゴばかりでなく,バッタ,ウンカ,メイチュウなどイネの害虫類を総称したもので,史書,地方文書類に蝗害(こうがい)とあるのも,これらの害虫のいずれかによるものであろう。これら害虫の発生を予防し,また発生した虫の防除にはこれを悪霊の化したものと考える思想があったため,その霊に形どってわら人形をつくりこれを村境に送って焼き捨てる行事が古く行われ,多く虫送りと呼ばれた。恨みをのんで死んだ人として西国では斎藤(別当)実盛の名がよくあげられるが,これはイナゴを別当と呼んだことから付会されたらしい。後には鯨油が駆除に使用された。なお,中国のイナゴについては〈バッタ〉の項目を参照。
執筆者:千葉 徳爾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報