名越操(読み)ナゴヤ ミサオ

20世紀日本人名事典 「名越操」の解説

名越 操
ナゴヤ ミサオ

昭和期の原爆被爆者 「ヒロシマ母の記」を出版した被爆者。



生年
昭和4(1929)年

没年
昭和61(1986)年6月14日

出身地
広島県広島市

学歴〔年〕
広島市立高等女学校(現・舟入高校)専攻科〔昭和22年〕卒

経歴
女学校4年生の時、被爆、原爆症で苦しむが、昭和22年には高校を卒業し、身につけた速記技術で28年に国鉄労働組合書記として就職した。結婚後も仕事を続ける。39年「木の葉のように焼かれて」(被爆手記集)の編集の頃から二男の肝臓すい臓に異常がはじまり、翌年白血病」と診断される。43年、二男死亡、夫との日記を中心にまとめた「ぼく生きたかった」が出版される。以後、原水爆禁止の署名運動に参加するなど、自ら入退院を繰り返す中で、被爆者の立場から平和運動に参加。60年に「ヒロシマ母の記」を出版した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「名越操」の解説

名越操 なごや-みさお

1929-1986 昭和時代後期の原爆被爆者。
昭和4年生まれ。昭和20年8月6日広島市立高女(現舟入高)4年のとき被爆する。28年国鉄労働組合に就職。39年から被爆手記集「木の葉のように焼かれて」を編集。43年次男を白血病でうしない,夫婦の日記をもとに「ぼく生きたかった」が刊行される。昭和61年6月14日死去。56歳。広島県出身。著作は「ヒロシマ母の記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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