日本歴史地名大系 「向下河岸」の解説 向下河岸むこうしもがし 埼玉県:幸手市中島村向下河岸[現在地名]幸手市西関宿(にしせきやど)中島(なかじま)村の北、江戸川(逆川)右岸の下総台地の最北端に位置する。下総国葛飾郡関宿町(現千葉県関宿町)の一部で、もとは庄内(しようない)川左岸に位置したが、寛永一八年(一六四一)の江戸川の開削および寛文五年(一六六五)の逆(さかさ)川の掘削に伴い江戸川右岸に位置するようになった。関宿城主板倉重常は居城の外郭江戸町を掘削して逆川を作り、城の防衛を厳にするとともに、利根川と権現堂川・江戸川とを合流させ、江戸への通船の便を開いた。この掘削により江戸町の一部が逆川の西側に飛地となり、向河岸の名が起こった。関宿町内(うち)河岸に対して名付けられたが、正確には向河岸と向下河岸からなる(「下総旧事考」など)。元禄郷帳には向下河岸とあり、高四二石余。利根川と江戸川の分岐点にあたり舟運の拠点として栄えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by