向田野浦村(読み)むこうたのうらむら

日本歴史地名大系 「向田野浦村」の解説

向田野浦村
むこうたのうらむら

[現在地名]三原市鷺浦さぎうら向田野浦

佐木さぎ島の南部を占め、北は須波すなみ村。北西の対岸田野浦たのうら村があり、その向うということで村名がついた。属島として南に上鷺かみさぎ島・下鷺島があり、西の割石われいし島は天保五年(一八三四)塩田が構築され地続きとなった。西南向田むこうた、東部にうえの集落があり、耕地は集落のある低地部と緩傾斜面に展開。畑作(現在では柑橘類)が中心。須ノ上の北部に弥生時代の三古志みこし遺跡、北西部の丘陵先長岩さきながいわ古墳がある。中世、佐木島沼田ぬた庄に属していつの時点かに下地中分され、須波村との村境はそれによると考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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