20世紀日本人名事典 「和木清三郎」の解説 和木 清三郎ワキ セイザブロウ 大正・昭和期の編集者,小説家 生年明治29(1896)年1月5日 没年昭和45(1970)年4月20日 出生地広島市 本名脇 恩三 学歴〔年〕慶応義塾大学文学部英文科卒 経歴在学中から改造社に勤め、大正10年「三田文学」10月号に「江頭校長の辞職」を発表。さらに「屑屋」「結婚愛」「みごもれる妻」などを執筆。昭和3年平松幹夫の急病で「三田文学」編集を担当、19年の辞任まで永井荷風時代とならぶ隆盛期を築いた。石坂洋次郎、山本健吉、北原武夫ら三田派新進、井伏鱒二ら学外新人登場にも貢献した。しかし出版部創設が因となって辞任、上海に渡った。戦後小泉信三の後援で雑誌「新文明」を創刊、45年まで続けた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和木清三郎」の解説 和木清三郎 わき-せいざぶろう 1896-1970 大正-昭和時代の編集者。明治29年1月5日生まれ。改造社勤務をへて,昭和3-19年第3次「三田文学」の編集を担当。石坂洋次郎ら三田系の新人,また井伏鱒二(いぶせ-ますじ)ら学外の新人も登用した。戦後「新文明」を創刊。昭和45年4月24日死去。74歳。広島県出身。慶大卒。本名は脇恩三。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例