小説家。本名満寿二(ますじ)。明治31年2月15日、広島県深安郡加茂村(現福山市)に地主の次男として生まれた。幼時に父に死別、祖父に愛されて育った。福山中学校を経て、1919年(大正8)に早稲田(わせだ)大学予科に入り、仏文科に進学したが、結局卒業しなかった。中学校卒業後は画家を志したこともあり、一時、日本美術学校にも籍を置いた。大学時代には岩野泡鳴(ほうめい)を訪ね、また、同級生青木南八に親しんで、習作に努めている。大学を辞めてからは、同人雑誌を転々としたり、出版社に勤めたりして、長く苦難の文学修業時代をもち、1928年(昭和3)に『鯉(こい)』を『三田文学』に、翌年『山椒魚(さんしょううお)』を『文芸都市』に発表したころから(両作品とも既発表作を改稿したもの)ようやく文壇に認められた。のち新興芸術派の一員に数えられ、30年に『夜ふけと梅の花』(新興芸術派叢書(そうしょ))、『なつかしき現実』(新鋭文学叢書)の両創作集を相次いで出して、文壇的地位を確立した。その後、中・長編にも手を染め、『川』(1931~32)、『ジヨン万次郎漂流記』(1937。直木賞受賞)、『さざなみ軍記』(1931~38)、『多甚古村(たじんこむら)』(1939)などを書いて、作家としての成熟をみせた。戦時の41年には陸軍徴用員としてシンガポールに派遣され、翌年帰国、44年から45年にかけて、まず甲府へ、ついで郷里加茂村に疎開した。戦後、旺盛(おうせい)な創作活動を復活させ、46年(昭和21)の『二つの話』『佗助(わびすけ)』をはじめとして『遙拝(ようはい)隊長』(1950)に至る戦時批判小説のほか、『引越やつれ』(1948)、『本日休診』(1949~50)などの風俗物にも健筆を振るった。長編では、『漂民宇三郎』(1954~55)、『珍品堂主人』(1959)などを経て、原爆を扱った大作『黒い雨』(1965~66)の高みに達した。井伏文学は、早くから老成した風格があり、その冷徹な目を和らげるユーモアに独特の味がある。素材的に、在所物、都会物、歴史物の三つに分けることができるが、すべてを通じて、彼が徹底して見つめていたのは、日本の庶民の哀歓であり、庶民の生活を破壊するような力――戦争、軍隊などには、厳しい怒りを現した。旅と釣りを愛し、絵、将棋、酒をたしなみ、随筆集も数多く、詩集も1冊ある。66年、文化勲章受章。日本芸術院会員。
[磯貝英夫]
『『井伏鱒二全集』全14巻(1964~75・筑摩書房)』▽『松本鶴雄著『井伏鱒二論』(1978・冬樹社)』▽『大越嘉七著『井伏鱒二の文学』(1980・法政大学出版局)』▽『涌田佑著『私注・井伏鱒二』(1981・明治書院)』
昭和・平成期の小説家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
小説家。広島県生れ。本名満寿二。早稲田大学仏文科中退。ながい同人誌習作時代を経て,1929年《山椒魚》その他で文壇に登場し,翌年には創作集《夜ふけと梅の花》を刊行。ユーモアとペーソスを含んだ独特の作風で作家としての地位を確立した。その後《ジョン万次郎漂流記》(1937)で直木賞を受賞,38年には歴史小説の佳作《さざなみ軍記》を完成した。駐在巡査の日誌の形をかりた《多甚古村》(1939)は多くの読者に迎えられたが,《川》(1932),《集金旅行》(1937)以来の挿話と挿話をつなぐ連作的スタイルは,この作家の特徴となった。42年から1年間陸軍徴用員としてシンガポールに滞在した。この時の体験は傑作《遥拝隊長》(1950)に結実している。敗戦前後は甲州や郷里にあって沈黙していたが,46年から旺盛な作家活動をはじめ,《本日休診》(1950)その他により第1回読売文学賞を受けた。以後しだいに円熟味を加え,芸術院賞を得た《漂民宇三郎》(1956)をはじめ,《駅前旅館》(1957),《珍品堂主人》《武州鉢形城》など鋭い人間洞察を格調ある文体で表現した作品を次々に発表した。《黒い雨》(1966)では原爆の大惨事を無名の庶民の日常的な視点を通して描き出すことに成功して野間文芸賞を受け,同年には文化勲章を受章。早くから滋味あふれる多くの随筆を書く一方で,《厄除け詩集》(1937)など独自の風韻をもった詩集もある。
執筆者:東郷 克美
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1898.2.15~1993.7.10
昭和期の小説家。本名満寿二。広島県出身。早大中退。処女作は,旧作「幽閉」を加筆,改題した「山椒魚(さんしょううお)」。左傾化の風潮に乗らず独自の文体を築いた。「ジョン万次郎漂流記」で1937年(昭和12)直木賞受賞。第2次大戦後の作に「本日休診」「遥拝隊長」,広島の原爆に取材した「黒い雨」など。文学への厳格な姿勢を貫き晩年まで自作の推敲を続け,85年「山椒魚」の山椒魚と蛙の和解を思わせる末尾を削除した。1966年文化勲章受章。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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