佐伯郷(読み)さえきごう

日本歴史地名大系 「佐伯郷」の解説

佐伯郷
さえきごう

和名抄刊本に記されるが訓はなく、高山寺本にはみえない。安芸国佐伯郡を同書(刊本)は「佐倍木」と訓ずるので、これに従う。

寛平元年(八八九)一二月二五日付丹波川人郷長解写(尊経閣蔵古文書写)によると、丹波国府に「権椽佐伯宿禰・大目佐伯宿禰」という官人が存在する。長寛二年(一一六四)一二月日付野口牧下司住人等解(陽明文庫所蔵「兵範記」裏文書)には「佐伯郷池田里十八坪四段在伝券重貞」とあり、当郷の一部が野口ののくち(中心地は現船井郡園部町)に含まれていた。鎌倉初期、郷内に佐伯庄が立荘される。

郷域について「日本地理志料」は「今佐伯村、属南郡、按図亘蘆山、猪倉、吉田、天川、柿花、大田、鹿谷、土田並河なびかは、宇津根諸邑、為其郷域」と記し、「大日本地名辞書」に「今稗田野ひえだの吉川よしかわ村是なり、亀岡町の西にして宗我部東加舎の北とす、中世以降佐伯庄と称したり、姓氏録「左京天孫、佐伯連、木根乃命男、丹波真太玉之後也」と見ゆるは、正しく此地の旧姓なるべし、普通に聞こゆる大伴佐伯と全く異系の家とす、其始末を詳にせず」とある。


佐伯郷
さえきごう

「和名抄」所載の郷。安芸国佐伯郡の例によりサエキとよむ。佐伯の地名は古代の軍事氏族である佐伯氏ないしは佐伯部と関係があるとされる。軍事氏族建部美濃における拠点とされる建部たけるべ郷は、「和名抄」では多藝郡と石津いしづ郡に一つずつ記載され、同じく軍事氏族の物部氏に関係する物部郷が多藝郡にあることなどから、当地に佐伯氏・佐伯部にかかわる郷があったとしても不自然ではあるまい。「大同類聚方」には多藝郡の人として佐伯義道の名がみえ、当郷に関係のある者かと推測される。


佐伯郷
さえきごう

「和名抄」諸本は訓を欠く。「大日本史国郡志」は「今石船南佐佐木村、蓋声之転也」と記す。「日本地理志料」は「越後野志」は山辺里さべり(現村上市)を佐伯里の転かとするとしながら、郡南の上関かみせき・下関・土沢つちざわ赤谷あかだに金俣かねまた(現岩船郡関川村)など関谷せきたにの諸村にあて、「関谷蓋佐伯之急呼」としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android