日本歴史地名大系 「和泉屋町」の解説 和泉屋町いずみやまち 鹿児島県:鹿児島市鹿児島城下上町和泉屋町[現在地名]鹿児島市上本町(かみほんまち)など上(かん)町の南部に位置し、北は恵比須(えびす)町、東は浜(はま)町、南は小川(おがわ)町(鹿児島県地誌)。行屋(ぎようや)通に面する。上町六町の一。行屋の千手観音は真言宗の僧日秀が沖縄島から帰来の日、行法を修して国家の安全を祈祷するため勧請したといい、行屋通の由来となったといわれる。行屋通まで古くは海辺であったという(倭文麻環)。寛永一九年(一六四二)九月二三日夜、行屋から出火、当町焼失とある(古記)。元禄九年(一六九六)四月二三日夜にも行屋から出火、火元は当町助右衛門借屋伊地知休右衛門下人清右衛門の所で、焼失町屋敷二一三ヵ所・焼失家数五五〇軒。 和泉屋町いずみやちよう 京都市:下京区永松学区和泉屋町下京区木屋町通松原上ル二丁目ほぼ南北に通る木屋町(きやまち)通に西面する片側町で、町の東側は鴨(かも)川、西側は高瀬(たかせ)川が流れる。平安京では京域外で、崇親(すうしん)院領となっていた。寛文九年(一六六九)、一〇年にかけての鴨川筋新堤建設以後、町地として開発された。寛文一二年洛中洛外大図には「和泉丁」、宝永二年(一七〇五)洛中洛外絵図では「和泉や丁」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by