日本歴史地名大系 「和淵村」の解説 和淵村わぶちむら 宮城県:桃生郡河南町和淵村[現在地名]河南町和淵東南流する北上川の西岸に位置し、西は前谷地(まえやち)村、北は遠田(とおだ)郡猪岡短台(いのおかたんだい)村(現涌谷町)。江合(えあい)川と北上川の合流点近くに村の中心地がある。気仙(けせん)道に沿う。村名の由来は「安永風土記」によれば、和淵神社の旧社地本宮(もとみや)の下方で迫(はさま)川の水が岩石の間を輪をまいて流下していたことによるという。「封内風土記」には江合川、迫川が当地で北上川に合流し渦を巻き、それを明神渦とよんだとある。「吾妻鏡」仁治二年(一二四一)五月一〇日条に「紀伊五郎兵衛入道寂西与同七左衛門尉重綱相論陸奥国小田保、追入、若木両村」とあり、追入は当地笈入(おいれ)に比定されている。慶長五年(一六〇〇)の葛西大崎船止日記(伊達家文書)の大崎(おおさき)中に「わぶちの内 ふね五そう」とある。元和二年(一六一六)の伊達政宗領知黒印状(伊達家文書)に大崎遠田のうち「わふち谷地」とあり、かつては遠田郡に属していたことが知れる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by