和田胤長(読み)わだ たねなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和田胤長」の解説

和田胤長 わだ-たねなが

1183-1213 鎌倉時代の武将
寿永2年生まれ。和田義盛の甥(おい)。弓の名手建暦(けんりゃく)3年荷担した泉親衡(ちかひら)の乱が発覚して陸奥(むつ)岩瀬郡(福島県)に流された。これを機に義盛が挙兵(和田氏の乱)したが,執権北条義時に敗れ,胤長も同年5月9日配流の地で殺された。31歳。通称平太

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「和田胤長」の解説

和田胤長

没年:建保1.5.9(1213.5.30)
生年:寿永2(1183)
鎌倉前期の武士相模国(神奈川県)出身。義長の子,義盛の甥。建保1(1213)年,泉親衡謀反事件で捕らえられ,義盛以下の嘆願にもかかわらず,陸奥国岩瀬郷に配流。これをきっかけに和田合戦が起こった。乱後,配所で殺された。

(高橋秀樹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android