泉親衡(読み)いずみちかひら

関連語 青山

改訂新版 世界大百科事典 「泉親衡」の意味・わかりやすい解説

泉親衡 (いずみちかひら)

鎌倉前期の武将生没年不詳。信濃源氏公衡の子。親平とも書く。将軍源頼家の遺子千手丸を擁して北条氏打倒の兵を挙げようとしたが,1213年(建保1)2月,千葉成胤勧誘に向かった使者が捕らえられ計画は露顕して失敗に終わった。同志300余名が逮捕されたが,親衡は捕縛にきた工藤十郎らを殺害して逃亡。大力の士として朝比奈義秀と並称されたという。なおこの事件は和田合戦誘因となった。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「泉親衡」の解説

泉親衡 いずみ-ちかひら

?-? 鎌倉時代の武士。
泉公衡の子。幕府御家人。将軍源頼家の遺児千手(寿)丸(せんじゅまる)(栄実(えいじつ))を擁立して,執権北条氏打倒の挙兵をくわだてる。建暦(けんりゃく)3年(1213)計画は発覚し300人以上が逮捕された。強力無双の親衡は追手を殺し行方不明となる。通称は小二(次)郎。名は親平ともかく。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「泉親衡」の意味・わかりやすい解説

泉親衡
いずみちかひら

鎌倉時代初期の武士。信濃の人。建保1 (1213) 年,2代将軍源頼家の遺子を擁立して北条氏を除こうとしたが失敗。

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世界大百科事典(旧版)内の泉親衡の言及

【和田合戦】より

…1213年(建保1)5月2,3両日,鎌倉を舞台に和田義盛北条義時によって行われた合戦。この年2月,源頼家の遺児千寿を擁して大将軍となし,義時を除こうとする泉親衡(いずみちかひら)の謀叛が露見した。安念法師の白状に基づき,一味の者がつぎつぎと逮捕されたが,その中に義盛の子息義直・義重,甥の胤長が含まれていた。…

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