日本歴史地名大系 「品野城跡」の解説 品野城跡しなのじようあと 愛知県:瀬戸市上品野村品野城跡[現在地名]瀬戸市上品野町秋葉(あきば)山といわれる急峻絶壁の山頂に築かれた山城。「府志」に東西二〇間・南北八間とある。今はわずかに石垣が残り、麓に中屋敷(なかやしき)・厨屋敷(うまややしき)・御殿(ごてん)・的場(まとば)・城部などの小字が残っている。開創は、建保(一二一三―一九)の頃、大金左兵衛尉重高が水野の五万石城より移ったのに始まり、正平一三年(一三五八)に信濃国若月(わかつき)庄古山から戸田頼房がここに移り、さらに明徳(一三九〇―九四)の頃、下品野(しもしなの)村の落合(おちあい)城に移ったという。享禄二年(一五二九)松平清康は、七千余の兵を率いて尾張に入り、織田信秀の部将桜木上野介の守る品野城を陥れ、先陣として功績のあった松平信定に品野城を与えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by