善愷訴訟事件(読み)ぜんがいそしょうじけん

改訂新版 世界大百科事典 「善愷訴訟事件」の意味・わかりやすい解説

善愷訴訟事件 (ぜんがいそしょうじけん)

法隆寺僧の善愷が846年(承和13),法隆寺檀越で当時少納言であった登美直名(とみのただな)を,寺産を不正に自己のものとしたとして直接弁官に訴えた事件。このような檀越の専横は当時多く見られたが,この訴訟はことに,9世紀初頭に沈滞の極に達し檀越登美氏から疎外されていた法隆寺僧の,道詮を中心とした自主性回復運動を背景としていた。初め左大弁正躬王らによって直名に遠流の判決が下ったが,僧綱を通さない越訴を受理し,善愷を不当に寛大に扱い,不十分な証拠で判決を下したとして,登美氏に好意的な実力者右少弁伴善男(とものよしお)が弾劾,正躬王ら弁官が罰せられるに至った。この背景には,藤原氏の他氏排斥の動きとそれに対する伴氏(大伴氏)の巻き返しの動きがあった。結局直名の罪はただされず,逆に善愷は笞罪に処せられた。この訴訟は法隆寺が古代的氏寺的寺院から自律的な中世寺院へと変貌していく胎動を示したものとして評価される。
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