平安初期の公卿(くぎょう)。継人(つぎひと)の孫、国道(くにみち)の子。応天門(おうてんもん)に放火したという罪で伊豆に配流。830年(天長7)校書殿(でん)に祗候(しこう)し、以後仁明(にんみょう)天皇に信頼され、大内記、蔵人(くろうど)、式部大丞(だいじょう)などの官を経て、847年(承和14)には蔵人頭(とう)、右中弁、翌年には参議となり、864年(貞観6)大納言(だいなごん)に累進した。善男は才知に優れ、弁舌に富み、政務の処理を機敏に行い、律令(りつりょう)官人として一流の人物であった。政界に乗り出してから藤原良房(よしふさ)にくみして勢力を伸ばし、左大臣の源信(まこと)と対立した。866年閏(うるう)3月、応天門から火が出て、同門をはじめ棲鳳(せいほう)楼、翔鸞(しょうらん)楼などの建物が焼失した。善男は良房の弟良相(よしみ)とともに源信が応天門に火をつけさせたのだと主張したが、やがて善男こそ放火の犯人だと訴えられ、無罪を強調したが認められず伊豆へ配流された。善男は、おそらく、良房が摂関政治を創始するのに障害となる人物を失脚させることをねらったために犠牲となったものと考えられる。『伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)』三巻は、応天門放火より流罪までを描いた絵巻である。
[佐伯有清]
『佐伯有清著『伴善男』(1970・吉川弘文館)』
平安前期の官人。大伴氏の後裔で,藤原種継暗殺事件の首謀者継人の孫。父は参議従四位上の伴国道。仁明天皇の信任を得て841年(承和8)に大内記となり,蔵人,式部大丞などをへて844年右少弁となり,846年に法隆寺僧善愷(ぜんがい)が檀越登美直名の不法を訴訟したことにつき,違法な受理として左大弁正躬王らと対立し,自己の主張を認めさせた(善愷訴訟事件)。その後蔵人頭,右中弁,参議,右大弁,右衛門督などをへて,849年(嘉祥2)には検非違使別当となった。文徳朝には讃岐守となる一方,《続日本後紀》の編纂にあたった。859年(貞観1)民部卿,翌年中納言,864年には太皇太后宮大夫,大納言となった。その有能さは〈察断機敏にして,政務に変通し,朝庭の制度詳究する所多く,問ふに対せざるなし〉といわれた。866年応天門の炎上事件で放火の罪にとわれ,伊豆に配流され,その宅地資財は没官とされた。2年後に没した。
→応天門の変 →伴大納言絵詞
執筆者:佐藤 宗諄
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811~868
9世紀半ばの公卿。大伴国道の子。伴中庸(なかつね)の父。830年(天長7)校書(きょうしょ)殿に伺候。以後,仁明(にんみょう)天皇に用いられた。大内記・蔵人・式部大丞などをへて847年(承和14)蔵人頭・右中弁。848年(嘉祥元)参議。時に従四位下。右衛門督・検非違使(けびいし)別当・中宮大夫などを歴任。855年(斉衡2)藤原良房(よしふさ)らと「続日本後紀」の編纂に従事。859年(貞観元)正三位。864年大納言。貞観期初めから左大臣源信(まこと)らと対立し,866年応天門が焼失すると源信の放火と告発。しかし大宅鷹取(おおやけのたかとり)が善男・中庸父子の陰謀を密告し,善男は伊豆国へ,中庸は隠岐国へ配流となり,莫大な田宅・資財が没収された(応天門の変)。2年後伊豆の配所で没。
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…事件の発端はこの年閏3月10日夜に朝堂院の正門である応天門が炎上したことであった。最初大納言伴善男(とものよしお)は左大臣源信の所業としてその処罰を主張したが,太政大臣藤原良房らの工作で無実が明らかになった。ところが8月3日に左京の備中権史生大宅鷹取が伴善男・中庸父子が真犯人であると告げた。…
…日本古代の中央有力豪族。姓は連(むらじ)で,684年(天武13)以後宿禰(すくね)となった。伴(とも)は朝廷の各種の職務を世襲的に奉仕する集団で,大伴とは,伴の大いなる者,あるいは多くの伴を支配する伴造(とものみやつこ)の意であろう。記紀の伝承では,天孫降臨のおり,遠祖天忍日命(あめのおしひのみこと)が武装して先導し,神武東征のおりにも,遠祖日臣命(道臣命)が大和への道を先導したという。おそらく4~5世紀の大和政権の発展期に,朝廷の諸機能にたずさわる伴の管理者として成長し,ことに軍事的統率者として頭角を現したものと思われる。…
…このような檀越の専横は当時多く見られたが,この訴訟はことに,9世紀初頭に沈滞の極に達し檀越登美氏から疎外されていた法隆寺僧の,道詮を中心とした自主性回復運動を背景としていた。初め左大弁正躬王らによって直名に遠流の判決が下ったが,僧綱を通さない越訴を受理し,善愷を不当に寛大に扱い,不十分な証拠で判決を下したとして,登美氏に好意的な実力者右少弁伴善男(とものよしお)が弾劾,正躬王ら弁官が罰せられるに至った。この背景には,藤原氏の他氏排斥の動きとそれに対する伴氏(大伴氏)の巻き返しの動きがあった。…
…平安時代の絵巻。866年(貞観8)応天門に放火して,その罪を政敵である左大臣,源信(みなもとのまこと)に負わせようとした大納言伴善男(とものよしお)(809‐868)の陰謀が偶然のことから露顕し,逆に伴大納言が失脚するという史実(応天門の変)を,ドラマティックに脚色して描いた説話絵巻の代表作。12世紀後半,後白河院周辺で活躍した宮廷絵師常盤光長の作と推定される。…
※「伴善男」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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