喜多村弥兵衛(読み)きたむらやへえ

改訂新版 世界大百科事典 「喜多村弥兵衛」の意味・わかりやすい解説

喜多村弥兵衛 (きたむらやへえ)
生没年:1561-1638(永禄4-寛永15)

江戸町年寄三家の一つ,喜多村家の祖。1590年(天正18)徳川家康に従って江戸に来た武士といわれる。のち町人となり,馬の飼料御用連雀(れんじやく)商人の鑑札支給の業務に従事した。また糸割符(いとわつぷ)年寄も務めた。隠居するにあたり町年寄役は婿の彦右衛門に譲り,そのほかの役は実子の文五郎が継いだという。町年寄喜多村家は日本橋本町3丁目に屋敷を拝領し,幕末まで業務を行った。
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関連語 商人 吉原

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜多村弥兵衛」の解説

喜多村弥兵衛 きたむら-やへえ

?-1638 江戸時代前期の町人。
遠江(とおとうみ)(静岡県)から徳川家康にしたがって江戸に移住し,のち樽屋,奈良屋とともに江戸宿三人年寄となる。婿の彦右衛門が跡をつぎ,町年寄喜多村家は幕末までつづいた。寛永15年8月17日死去。通称ははじめ彦兵衛。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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