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喜多村弥兵衛 きたむら やへえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

喜多村弥兵衛 きたむら-やへえ

?-1638 江戸時代前期の町人。
遠江(とおとうみ)(静岡県)から徳川家康にしたがって江戸に移住し,のち樽屋,奈良屋とともに江戸宿三人年寄となる。婿の彦右衛門が跡をつぎ,町年寄喜多村家は幕末までつづいた。寛永15年8月17日死去。通称ははじめ彦兵衛。

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朝日日本歴史人物事典の解説

喜多村弥兵衛

没年:寛永15.8.17(1638.9.24)
生年:生年不詳
江戸初期の江戸町年寄の祖。徳川家康の関東入国時に遠江(静岡県)から供をしたという。江戸の城下町建設に努力したが,馬の飼料の仕事をしていたという伝承もある。町支配を3人の年寄のひとりとして行ったが,同時に関八州の連雀商人の札座をも兼ね,のちには長崎糸割符の特権を与えられたという。のち町支配の業務は婿である彦右衛門に受け継がれた。彦右衛門は金沢の商人の出身で,大坂の陣にさいし他の町人と共に前田利常の陣中見舞いに大坂へ出かけたが,このとき家康の目にとまり,金沢での町支配の実績を評価され,江戸に出府したという。以後,代々町年寄の業務に従事した。<参考文献>吉原健一郎「町年寄」(『江戸町人の研究』4巻)

(吉原健一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

きたむらやへえ【喜多村弥兵衛】

1561‐1638(永禄4‐寛永15)
江戸の町年寄三家の一つ,喜多村家の祖。1590年(天正18)徳川家康に従って江戸に来た武士といわれる。のち町人となり,馬の飼料の御用や連雀(れんじやく)商人の鑑札支給の業務に従事した。また糸割符(いとわつぷ)年寄も務めた。隠居するにあたり町年寄役は婿の彦右衛門に譲り,そのほかの役は実子の文五郎が継いだという。町年寄喜多村家は日本橋本町3丁目に屋敷を拝領し,幕末まで業務を行った。【吉原 健一郎】

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