改訂新版 世界大百科事典 「連雀商人」の意味・わかりやすい解説
連雀商人 (れんじゃくしょうにん)
中世から近世にかけて木製の枠形の背負道具に商いの荷をくくりつけて背負い,行商をして歩いた商人。のちには行商人のことを連雀と称するようになった。連雀とは日本に渡来する小鳥の名で,左右の翼にそれぞれ1本ずつ長い羽があり,それがたれ下がっていて,一見荷を背負う枠形に似ているところがあって,枠形を連雀とよぶようになったものと考えられる。《節用集》では連雀と記し,《下学集》では連著とあり,ときには連尺とも書かれることがあった。いずれにしても荷を背負ってあるく行商人を意味していた。1544年(天文13)駿河,遠江を支配していた今川氏が連雀商人に対して黄皮・毛皮・骨董を他国に搬出することを禁じているのは早い事例といえる。武田氏は73年(天正1)駿府今宿の商人頭友野氏を駿河一帯の連雀役徴収の代官に任命している。戦国末期,豊臣秀吉がにわかに大名に取り立てられ,家人が不足して困惑したとき,伯母婿で清洲に住んでいた連雀商人杉原七郎左衛門を呼び寄せて家来にしたことが伝えられている。集団で行商してあるいた連雀商人たちが各地の城下町の特定地域に集住するようになると,そこは連雀町とよばれた。東国地方の城下の大手付近にはよく市が開かれ,連雀商人がそこに集まって商売を行い,やがて集住するようになって連雀座あるいは連雀町が成立した。浜松,静岡,江戸城下大手の連雀町はそのなごりといえる。また堺,彦根,岡崎,上野厩橋金井宿,川越,岩槻,鉢形,松山本郷など戦国末期の東国城下町には,連雀町や連雀小路があった。連雀町には連雀商人たちを取り締まる頭がおかれ,連雀役の徴収や町の管理に当たった。
→行商 →振売
執筆者:佐々木 銀弥
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報