喜連川国朝(読み)きつれがわ くにとも

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜連川国朝」の解説

喜連川国朝 きつれがわ-くにとも

1572-1593 織豊時代の武将
元亀(げんき)3年生まれ。小弓(おゆみ)御所足利義明の孫。足利頼純(よりずみ)の長男下野(しもつけ)(栃木県)喜連川藩主喜連川家初代。天正(てんしょう)18年豊臣秀吉から古河(こが)と喜連川で3500石をあたえられ,古河公方(くぼう)足利義氏の遺児氏姫の婿となる。文禄(ぶんろく)2年2月1日肥前名護屋(佐賀県)にむかう途中,安芸(あき)(広島県)で死去。22歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の喜連川国朝の言及

【喜連川氏】より

…1590年(天正18)の小田原合戦後,小弓(おゆみ)足利氏は豊臣秀吉から下野喜連川の地を与えられ,喜連川氏を称した。その翌年豊臣秀吉の仲介で古河公方(こがくぼう)足利義氏の遺女氏姫と喜連川国朝との結婚が成立し,喜連川氏が関東足利氏の嫡流たる地位を襲封することとなった。93年(文禄2)国朝が朝鮮の役で九州に赴く途中安芸で病死したのにともない,弟頼氏が氏姫と結婚して喜連川氏を継いだ。…

※「喜連川国朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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