改訂新版 世界大百科事典 「嘆きの壁事件」の意味・わかりやすい解説
嘆きの壁事件 (なげきのかべじけん)
1929年に起こった〈嘆きの壁〉をめぐるユダヤ人とパレスティナ・アラブとの紛争。ユダヤ教徒にとって,紀元70年にローマ軍によって破壊されたソロモンの神殿の再建は最重要な課題であった。その神殿の遺構がエルサレムの〈嘆きの壁〉で,それは離散したユダヤ人の〈約束の地〉イスラエルのシンボルとなった。しかし同時にこの壁は,イスラム教徒にとってもアクサー・モスクと岩のドームを含む聖域〈ハラム・アッシャリーフ〉の西の壁にあたっている。1928年9月に,一部ユダヤ教徒がこれまでの慣例を破り,勝手にベンチや幕を持ち込んだことから,29年にはユダヤ人とパレスティナ・アラブの紛争となり,多数の死傷者を出し,聖地問題をめぐるアラブとユダヤの紛争の発火点となった。
→パレスティナ問題
執筆者:前田 慶穂
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報