改訂新版 世界大百科事典 「嘉吉の徳政」の意味・わかりやすい解説
嘉吉の徳政 (かきつのとくせい)
1441年(嘉吉1)秋,土一揆を契機として発布された室町幕府の徳政令。この年6月,将軍足利義教が赤松満祐に暗殺されるという事件(嘉吉の乱)が起こり,世情騒然としていたところ,9月初めより京都近郊の農民が一斉に蜂起した。一揆は諸社寺に立てこもり徳政を求めたため,幕府もついに屈服し,9月12日徳政令が発布された。しかしその後も徳政令の解釈をめぐって紛議が絶えなかったため,閏9月10日になって適用範囲を明示した新法が公布された。一揆が当面の相手とした土倉(どそう)は,幕府に対し土倉役を負担していたが,土倉役は質物の数を基準として賦課されていたため,一揆に質物を奪い返された土倉は幕府への納銭を停止してしまった。これは幕府にとって思わざる影響で,以来幕府は,徳政令を発布する際には,分一銭(ぶいちせん)と称して貸借額の1/5~1/10を納めさせるようになった。室町幕府徳政令の原形を作った事件として重要である。
→徳政
執筆者:桑山 浩然
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