四つ木村
よつぎむら
[現在地名]葛飾区四つ木一―四丁目・立石二丁目
渋江村の北に位置し、東は原村、西は若宮村、北は篠原村。「風土記稿」によれば四本の大木にちなむ小名が村名になったという。「葛西志」は奥州合戦のため源頼朝が当地を通過した際に時刻をたずね、「四ツ過」との答えがのち「よつぎ」となり、文字も「四ツ木」と書くようになったという伝説を紹介している。鎌倉末から南北朝期の光照寺本親鸞聖人門侶交名牒に「ヨツキ」の覚善の名がみえる。元禄郷帳に四ッ木新田村とみえ、高一一八石余。天保郷帳には四ッ木村とある。「風土記稿」によれば家数三六。鎮守は白髭社、末社は稲荷社・弁天社。亀有村と篠原村間では享保(一七一六―三六)以降、引舟が行われ、当村は船三艘を所持していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 