四ヵ国条約 (よんかこくじょうやく)
1921年12月13日,日本とアメリカ,イギリス,フランスの4ヵ国の間でワシントン会議の一環として調印された条約。ワシントン軍縮条約ともいう。太平洋島嶼(とうしよ)における領土的権利の相互尊重,これに関する問題が生じた際の会合協議,日英同盟の終了,を定めた。第1次世界大戦後太平洋における三大強国となった日本,アメリカ,イギリスの間には,米英提携・日米対立の底流が存在する一方で,法的には日英が軍事同盟で結びつくという矛盾が存在した。しかも日英同盟は,日本の中国進出の一支柱であったため,アメリカや中国の疑惑の的であった。この日英同盟を解消し,同時に日本だけを孤立させぬようなんらかの協定を結び,3国間に新たな協調関係をつくりあげることが四ヵ国条約の実質的な目的であり,フランスの参加は条約により一般的な性格を与えるためであった。四ヵ国条約は拘束力の弱い象徴的なものであり,したがって30年代東アジア国際関係の急展開により,その意義を失った。
→ワシントン体制
執筆者:北岡 伸一
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四ヵ国条約
しかこくじょうやく
The Four-Power Pact
1921年12月13日,ワシントン会議において,アメリカ合衆国,イギリス,日本,フランスが調印した条約。太平洋地域の権益をめぐる問題に関して,調印国のうち 2ヵ国の間で紛争が生じた場合は,すべての調印国が協議にあずかると規定された。また,調印国が互いの権利を尊重することも記された。これによって,太平洋地域でそれぞれの利益が衝突する可能性が高いアメリカ,イギリス,日本の 3大国の間に協議の枠組みがつくられた。文言が曖昧だったため拘束力は乏しかったが,この条約の重要な意味は,1902年から東アジアにおける力の均衡を維持してきた日英同盟が破棄されたことであった。また追加協定では,日本の「島嶼たる属地及び領地」が定義された。
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四ヵ国条約【しかこくじょうやく】
1921年ワシントン会議において,日・英・米・仏4ヵ国の間で結ばれた条約。第1次大戦後の太平洋地域における日・米間の対立激化に対し,米国の主導のもとに締結され,太平洋上の各国領土に関する現状維持の尊重,紛争を共同会議で処理することなどを定め,この条約の発効をもって日英同盟は終了すると規定した。拘束力は弱く,1930年代の東アジア国際関係の急展開でその意義を失った。
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世界大百科事典(旧版)内の四ヵ国条約の言及
【海軍】より
…各国による建艦競争が始まると,軍艦の国産化を達成した日本は[八八艦隊]の実現をめざした。しかし海軍予算は国家財政中最大の比重を占めて国民生活を圧迫し,国際的にも軍縮の世論が高まったため,1922年のワシントン海軍軍縮条約([四ヵ国条約])により主力艦の制限が実現した。こののち,補助艦の建艦競争が続いたが,30年の[ロンドン軍縮会議]により制限が課せられた。…
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