日本歴史地名大系 「四十曲村」の解説 四十曲村しじゆうまがりむら 鳥取県:東伯郡三朝町四十曲村[現在地名]三朝町福本(ふくもと)上西谷(かみにしだに)村の南西、福本川の上流に位置する。久世(くせ)往来が通り、四十曲峠を越えて作州吉田(よしだ)村(現岡山県中和村)に通ずる。拝領高四三石余。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」によれば高五九石、竈数六。山神・荒神があり、穴鴨(あながも)村へ三八町。作州大庭(おおば)郡吉田村・別所(べつしよ)村(現中和村)両所へ一八町、国境へ一二町とある。宝暦三年(一七五三)頃の河村郡村々明細帳(近藤家文書)によれば朱高四七石余、高七五石余、うち畑高一二石余。免五ツ二分、倉吉御蔵納。悪田加損米二石。炭役米二斗・鍛冶屋(鋳物)運上銀二匁が課され、棟数三軒・役高六〇人。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報