竹田神社(読み)たけだじんじや

日本歴史地名大系 「竹田神社」の解説

竹田神社
たけだじんじや

[現在地名]蒲生町鋳物師

境内は鎮守森を形成する。旧村社。金工の祖神である天目一箇あまのまひとつ命のほかに天津彦根あまつひこね命・大己貴おおなむち命・大屋彦おおやひこ命・石凝姥いしこりどめ命の五柱を祀り、「延喜式」神名帳にみえる蒲生がもう郡菅田神社に比定する説もある。社伝によれば、崇神天皇の代に明神森の地に創建され寛仁元年(一〇一七)現在地に移り、地名により現社名に改めたという。豊臣秀吉の時代に能(竹田の神能とよばれる)奉納が始まり、一時中断したが現在も行われる。近世には鋳物師村および石原いしはら(現滋賀県日野町)氏神であった。


竹田神社
たけだじんじや

[現在地名]橿原市東竹田町小字堂垣内

てら川南岸に鎮座。旧村社。古くは三十八所社と称したが、「延喜式」神名帳十市とおいち郡の「竹田神社」に治定(大和志)。「新撰姓氏録」左京神別下に「竹田川辺連、(火明)命五世之後也、仁徳天皇御世、大和国十市郡をし坂川之辺有竹田神社、因以為氏神、同居住焉、緑竹大美、供御箸竹、因賜竹田川辺連」とあり、竹田川辺連の氏神で、火明ほあかり命を祀ると推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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