朝日日本歴史人物事典 「四条隆親」の解説
四条隆親
生年:建仁2(1202)
鎌倉中期の公卿。正二位大納言。権大納言隆衡の子。院・天皇の近臣として勢威を振るい,『正元二年院落書』に「四条権威アリアマリ」と書かれた。また『とはずがたり』の著者二条の外祖父としても知られる。最初後鳥羽上皇に近侍したが,承久の乱(1221)後は新天皇の後堀河とその母北白河院の近臣として活躍。北白河院の執事や後堀河上皇の年預,また皇嗣四条天皇の乳父にもなった。後堀河の死後,四条の近習から放逐されたが,四条の急死により後嵯峨天皇が推戴されるとその近臣となって再び活躍した。院の評定衆にも加わり,また後深草天皇の乳父や院執事にもなった。
(秋山喜代子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報