…子供芝居で初舞台,13歳で4世市川小団次の門に入り小米(こよね),升若を経て,1864年(元治1)小団次の養子となって左団次を名のり江戸の各座に出勤。66年(慶応2)養父没後一時廃業していたが,作者河竹黙阿弥の後援で復帰,70年(明治3)黙阿弥の書きおろし《慶安太平記》の丸橋忠弥の好演で人気役者の仲間入りをし,93年明治座を新築,座元・座頭として活躍,9世市川団十郎,5世尾上菊五郎ら名優と〈団菊左〉と並び称された。容姿とせりふに恵まれ,堅実な芸風で明治史劇に本領を発揮した。…
※「団菊左」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...