矢田挿雲(読み)やだそううん

改訂新版 世界大百科事典 「矢田挿雲」の意味・わかりやすい解説

矢田挿雲 (やだそううん)
生没年:1882-1961(明治15-昭和36)

俳人小説家本名は義勝。金沢生れ。東京専門学校(現,早稲田大学)在学中,正岡子規俳句を学ぶ。各地の新聞社勤務を経て,《報知新聞》社会部記者となる。部長の野村胡堂に勧められて連載した歴史読物江戸から東京へ》は,足で書かれた連載物として好評を博した。1925年(大正14)秋,白井喬二提唱により大衆作家の親睦団体二十一日会が結成され,翌年同人誌《大衆文芸》が創刊されるとその同人となる。歌舞伎役者の色模様を描いた《沢村田之助》(1923-24),豊臣秀吉の赤裸々な人間性を浮彫にした長編太閤記》(1925-34)などが代表作。晩年は子規派の俳句を鼓吹し,句作三昧の生活を送った。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「矢田挿雲」の意味・わかりやすい解説

矢田挿雲
やだそううん
(1882―1961)

小説家、俳人。金沢市に生まれる。本名義勝(よしかつ)。1900年(明治33)東京専門学校(現早稲田(わせだ)大学)へ入学。在学中より正岡子規(しき)の門に入り句作を続ける。『九州日報』から『報知新聞』に転じる。1926年(大正15)直木三十五らと第一次『大衆文芸』を創刊。代表作に地誌的歴史読物『江戸から東京へ』全12巻(1920~23、1926、1941~42)があり、また、長編小説『太閤記(たいこうき)』全12巻(1925~34)は、史書を渉猟(しょうりょう)し、実地踏査による実証に支えられ、後の『太閤記』ものの礎石となった。

[山崎一穎]

『『江戸から東京へ』全9冊(中公文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「矢田挿雲」の意味・わかりやすい解説

矢田挿雲【やだそううん】

小説家,俳人。本名義勝。金沢生れ。東京専門学校(現,早稲田大学)在学中,正岡子規の門下に入り句作。報知新聞社記者時代の1919年《俳句と批評》を創刊,また同新聞に連載した《江戸から東京へ》は,現地を実地調査し,口碑伝説などを取材してまとめた地誌的歴史読物で,足で書く読物の先鞭をつけた。さらに大衆文学の世界から豊臣秀吉像を記した《太閤記》は,その後の多くの秀吉物の礎となった。1932年退社後は句作に励んだ。ほかに《沢村田之助》などがある。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「矢田挿雲」の意味・わかりやすい解説

矢田挿雲
やだそううん

[生]1882.2.9. 金沢
[没]1961.12.13. 市川
俳人,小説家。本名,義勝。新聞社を転々としたのち,1919年『俳句と批評』を創刊。かたわら歴史読物『江戸から東京へ』 (1920~23) で文名をあげ,25年白井喬二らと二十一日会を結成。『太閤記』 (25~34) ,『忠臣蔵』 (35~40) のほか,情話作家としての才能を示した『沢村田之助』 (23) がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢田挿雲」の解説

矢田挿雲 やだ-そううん

1882-1961 大正-昭和時代の小説家,俳人。
明治15年2月9日生まれ。東京専門学校(現早大)在学中より正岡子規にまなぶ。大正4年報知新聞社にはいり,野村胡堂のすすめで歴史読み物「江戸から東京へ」を連載。「大衆文芸」同人。戦後は俳誌「挿雲」を主宰した。昭和36年12月13日死去。79歳。石川県出身。本名は義勝。小説に「太閤記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の矢田挿雲の言及

【江戸から東京へ】より

矢田挿雲の歴史読物。1920‐23年(大正9‐12)《報知新聞》に連載。…

※「矢田挿雲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android