朝日日本歴史人物事典 「国俊」の解説 国俊 生年:生没年不詳 鎌倉中期の京都の刀工。来派の事実上の祖国行の子と伝え,年紀作に「国俊 弘安元(1278)年十二月日」銘の太刀がある。直刃の刃文を得意とする来派のなかで,備前一文字派にみられるような華やかな丁字乱れを焼き,太刀姿も豪壮なものが多い。来派には「国俊」と2字に銘をきるものと,「来国俊」と3字にきるものとがいて,前者を2字国俊と呼んで区別している。しかし,来国俊の最古の年紀作に正応3(1290)年銘の太刀があり,両者は同人で国俊2字銘を前期の作とする説もある。<参考文献>加島進「山城国来派の系譜とその作風について」(『MUSEUM』307号),同「年紀ある山城国来派について」(『MUSEUM』346号) (原田一敏) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「国俊」の解説 国俊(2) くにとし ?-? 鎌倉時代の刀工。山城(京都府)来(らい)派。銘に「来」の字を冠するので「来国俊」とよばれ,「二字国俊」と区別される。両者については同一人物説,親子・兄弟説などがある。弘安(こうあん)元年(1278)から元亨(げんこう)元年(1321)にいたる年紀作をのこす。「来国俊」銘の国宝に太刀1口(ふり),小太刀1口,短刀2口があり,ほかに重要文化財も6口ある。通称は来孫太郎。 国俊(1) くにとし ?-? 鎌倉時代の刀工。山城(京都府)来(らい)派の祖国行の子。「国俊」と2字の銘をきざむので,「二字国俊」とよばれる。身幅のひろい豪壮な姿の太刀がおおく,弘安(こうあん)元年(1278)銘の太刀,名物の愛染国俊の短刀(ともに重要文化財)などが現存する。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例