日本歴史地名大系 「国見山廃寺」の解説
国見山廃寺
くにみやまはいじ
古代東山道に近い北上川左岸にある国見山(約二四〇メートル)南麓を中心とする地域と、小盆地一帯に立地する古代寺院跡。昭和三八年(一九六三)から同五五年にかけての九次にわたる発掘調査によって古代の大規模な山岳伽藍跡であることが確認され、県史跡に指定。天安元年(八五七)定額寺とされた極楽寺跡と考えられている。国見山神社西方三〇メートルに東西三メートル・南北一二メートルの平坦地があり、西部で方三間の礎石建物跡が発見された。一辺四・五八メートル(一間=一・五二メートル)で、出土遺物は土師器、須恵器片のほか、火をうけた八葉単弁蓮華文軒丸瓦、十字に丸の蓮珠文軒平瓦片など。当遺跡唯一の瓦葺建物で経蔵跡と考えられている。推定経蔵跡の南に東西七間(桁行一八・九メートル、二・七メートル等間)、南北一間(梁行五・四三メートル)の堂跡がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報