園井恵子(読み)ソノイ ケイコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「園井恵子」の解説

園井 恵子
ソノイ ケイコ


職業
女優

本名
袴田 トミ

生年月日
大正2年 8月6日

出生地
岩手県 岩手郡松尾村(八幡平市)

学歴
小樽高女〔昭和4年〕中退

経歴
昭和4年宝塚音楽歌劇学校に入り、5年宝塚少女歌劇団花組で「春のをどり」に初舞台。8年星組に移り「指輸の行方」で春日野八千代共演。以来男役として活躍。14年雪組へ。前年から宝塚映画開始、「山と少女」で映画デビュー。17年「ピノチオ」の出演を最後に宝塚を退団苦楽座に参加、旗揚げ公演の「玄関風呂」で好演。18年大映無法松一生」に阪東妻三郎と共演。20年苦楽座解散、続いて丸山定夫が結成した移動演劇隊桜隊に参加。広島市で公演中の同年8月6日に被爆、約2週間後に死亡した。平成8年大浦みずきら元宝塚トップスターの協力で故人をしのぶコンサート「すみれの花咲く頃、タカラジェンヌと共に」が開催される。

没年月日
昭和20年 8月21日 (1945年)

伝記
さくら隊8月6日―広島で被爆した若き新劇人たちさくら隊散る 新藤 兼人 著新藤 兼人 著(発行元 岩波書店未来社 ’88’88発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「園井恵子」の解説

園井 恵子
ソノイ ケイコ

昭和期の女優



生年
大正2(1913)年8月6日

没年
昭和20(1945)年8月21日

出生地
岩手県岩手郡松尾村

本名
袴田 トミ

学歴〔年〕
小樽高女〔昭和4年〕中退

経歴
昭和4年宝塚音楽歌劇学校に入り、5年宝塚少女歌劇団花組で「春のをどり」に初舞台。8年星組に移り「指輸の行方」で春日野八千代と共演。以来男役として活躍。14年雪組へ。前年から宝塚映画開始、「山と少女」で映画デビュー。17年「ピノチオ」の出演を最後に宝塚を退団、苦楽座に参加、旗上げ公演の「玄関風呂」で好演。18年大映「無法松の一生」に阪東妻三郎と共演。20年苦楽座解散、続いて丸山定夫が結成した移動演劇隊桜隊に参加。広島市で公演中の同年8月6日に被爆、約2週間後に死亡した。平成8年大浦みずきら元宝塚トップスターの協力で故人をしのぶコンサート「すみれの花咲く頃、タカラジェンヌと共に」が開催される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

知恵蔵mini 「園井恵子」の解説

園井恵子

俳優本名、袴田トミ。1913年8月6日、岩手県岩手郡松尾村(現、八幡平市)生まれ。29年、宝塚音楽歌劇学校に入学し、翌年に花組の『春のをどり』で初舞台を踏んだ。星組に移ってからは伝説のトップスターとして知られた春日野八千代と共演している。42年に退団した後は映画や劇団で活躍し、43年の映画『無法松の一生』では阪東妻三郎と共演した。45年8月6日、舞台公演で滞在していた広島で被爆し、21日に32歳で死去した。2019年、宝塚歌劇の発展に大きく貢献した歴代のスターやスタッフを紹介する施設「宝塚歌劇の殿堂」に、105人目の顕彰者として加わることが決まった。

(2019-5-30)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「園井恵子」の解説

園井恵子 そのい-けいこ

1913-1945 昭和時代前期の女優。
大正2年8月6日生まれ。昭和5年宝塚少女歌劇団にはいり,「春のをどり」で初舞台。17年「ピノチオ」の主役を最後に退団。宝塚映画などをへて大映の「無法松の一生」に出演した。20年8月6日広島で公演中に被爆,21日死去。33歳。岩手県出身。小樽高女中退。本名は袴田トミ。芸名ははじめ笠縫清乃。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「園井恵子」の解説

園井 恵子 (そのい けいこ)

生年月日:1913年8月6日
昭和時代の女優
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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