デジタル大辞泉
「丸山定夫」の意味・読み・例文・類語
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丸山 定夫
マルヤマ サダオ
- 職業
- 俳優
- 肩書
- 桜隊隊長
- 別名
- 芸名=福田 良介
- 生年月日
- 明治34年 5月31日
- 出生地
- 愛媛県 松山市
- 学歴
- 松山高小卒
- 経歴
- 小学を出て各地を転々としながら、銀行給仕やオペラのコーラス・ボーイなどをしたあと、大正13年発足早々の築地小劇場に第1回研究生として参加、小山内薫の指導を受け、千田是也らとともに性格俳優として活躍。小山内没後の昭和4年には土方与志、山本安英、薄田研二らとともに新築地劇団を結成。「生ける人形」以後は同劇団の中心俳優に。7年妻細川ちか子の療養費を得るためエノケン一座に福田良介を名乗って出演、のち東宝映画の前身P.C.L.の映画にも出演した。15年に新築地劇団が当局の弾圧で解散させられると、17年薄田研二、徳川夢声らと苦楽座を結成し、「無法松の一生」などを上演した。20年日本移動演劇連盟“桜隊”を引率して各地を巡回していたが、8月広島で公演中に被爆死した。平成元年演劇評論家・菅井幸雄編集により、遺稿集「俳優・丸山定夫の世界」が刊行された。
- 没年月日
- 昭和20年 8月16日 (1945年)
- 親族
- 姪=丸山 由利亜(女優)
- 伝記
- 俳優・丸山定夫の世界さくら隊8月6日―広島で被爆した若き新劇人たちさくら隊散る 丸山 定夫 著,菅井 幸雄 編新藤 兼人 著新藤 兼人 著(発行元 未来社岩波書店未来社 ’89’88’88発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
丸山 定夫
マルヤマ サダオ
大正・昭和期の俳優 桜隊隊長。
- 生年
- 明治34(1901)年5月31日
- 没年
- 昭和20(1945)年8月16日
- 出生地
- 愛媛県松山市
- 別名
- 芸名=福田 良介
- 学歴〔年〕
- 松山高小卒
- 経歴
- 小学を出て各地を転々としながら、銀行給仕やオペラのコーラス・ボーイなどをしたあと、大正13年発足早々の築地小劇場に第1回研究生として参加、小山内薫の指導を受け、千田是也らとともに性格俳優として活躍。小山内没後の昭和4年には土方与志、山本安英、薄田研二らとともに新築地劇団を結成。「生ける人形」以後は同劇団の中心俳優に。7年妻細川ちか子の療養費を得るためエノケン一座に福田良介を名乗って出演、のち東宝映画の前身PCLの映画にも出演した。15年に新築地劇団が当局の弾圧で解散させられると、17年薄田研二、徳川夢声らと苦楽座を結成し、「無法松の一生」などを上演した。20年日本移動演劇連盟“桜隊”を引率して各地を巡回していたが、8月広島で公演中に被爆死した。平成元年演劇評論家・菅井幸雄編集により、遺稿集「俳優・丸山定夫の世界」が刊行された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
丸山定夫 (まるやまさだお)
生没年:1901-45(明治34-昭和20)
新劇俳優。松山市に生まれ,苦労して高等小学校を卒業。地方巡業のオペラ団に身を投じ,関東大震災後に上京,浅草オペラのコーラス部員となり,エノケン(榎本健一)と知り合った。1924年(大正13)開場の築地小劇場第1回研究生となり,小山内薫演出《どん底》のルカ役で早くも注目され,スター的存在となった。築地小劇場分裂後の29年(昭和4)土方与志(ひじかたよし),山本安英らと新築地劇団を結成した。しかし,妻で女優の細川ちか子(1905-76)の結核療養費を得るため,一時エノケンに助けられて福田良介の芸名でエノケン一座に出演,のち同劇団に復帰して,社会主義的新劇の確立に尽くし,モリエール喜劇や三好十郎作品で好演した。弾圧による劇団解散後の42年,徳川夢声らと苦楽座を結成し,杉村春子と《無法松の一生》を共演し傑出した演技をのこした。そして戦時下の移動演劇団桜隊を引率巡演中,広島で被爆し8月16日死去した。
執筆者:石沢 秀二
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丸山定夫
まるやまさだお
[生]1901.5.31. 愛媛
[没]1945.8.16. 広島
新劇俳優。小説家志望から放浪の旅に出,青い鳥歌劇団に加わり巡業した。 1923年上京,寄席に出た。 24年創立の築地小劇場に第1回研究生として千田是也らと入所。『夜の宿』のルカ,『人形の家』のヘルメル,『国性爺合戦』の和藤内を好演。 29年築地分裂後,新築地劇団を土方与志,久保栄らと結成。 32年生活苦からエノケン一座に出演,その後 PCL (東宝) 専属となり多くの映画に出演。 33年新劇合同公演『五稜郭血書』で新劇に戻った。 42年薄田研二らと苦楽座を結成。移動演劇で広島公演中,原爆に倒れた。
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丸山定夫【まるやまさだお】
新劇俳優。愛媛県生れ。築地小劇場の研究生となり,分裂後は土方与志を中心に新築地劇団を結成,中心的俳優として活躍。一時浅草でエノケン(榎本健一)一座に加入,のち映画俳優。1942年徳川夢声らと苦楽座を結成,杉村春子と《無法松の一生》を共演した。広島を巡演中原爆の犠牲となり,死去。
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丸山定夫
まるやまさだお
(1901―1945)
新劇俳優。愛媛県生まれ。銀行給仕などを経て青い鳥歌劇団に入り、1924年(大正13)創立の築地(つきじ)小劇場の研究生になる。第2回公演『狼(おおかみ)』で初舞台。奇行癖のある性格俳優として評価され、出演回数のもっとも多い俳優であった。29年(昭和4)土方与志(ひじかたよし)を擁し新築地劇団を結成、中心俳優として活躍。32年妻の女優細川ちか子の療養費捻出(ねんしゅつ)のため旧知のエノケン一座に福田良介(りょうすけ)の芸名で出演、話題をよぶ。のちPCLから東宝の専属になり、『妻よ薔薇(ばら)のやうに』(1935)、『兄いもうと』(1936)などの映画でも活躍、「新劇の団十郎」と評された。新築地劇団解散後、苦楽座を結成、その一部を苦楽座移動隊(のち桜隊)に編成し、広島巡演中に隊員9名とともに被爆し、昭和20年8月16日死去した。
[祖父江昭二]
『丸山定夫遺稿集刊行委員会編『丸山定夫・役者の一生』(1970・ルポ出版)』
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丸山定夫 まるやま-さだお
1901-1945 昭和時代の俳優。
明治34年5月31日生まれ。築地(つきじ)小劇場の第1回研究生。昭和4年新築地劇団を結成。エノケン一座やPCL(のちの東宝映画)にも出演。17年苦楽座を結成,「無法松の一生」などで好演。妻は女優の細川ちか子。広島巡演中に被爆し,昭和20年8月16日死去。45歳。愛媛県出身。別名に福田良介。
【格言など】俳優であるまえに人間でなければならない(信条)
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丸山 定夫 (まるやま さだお)
生年月日:1901年5月31日
大正時代;昭和時代の新劇俳優
1945年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報