園湊(読み)そのみなと

日本歴史地名大系 「園湊」の解説

園湊
そのみなと

南北朝期からみえる湊名。斐伊川神戸かんど川が合流して日本海に注ぐ砂洲の内湾にできた湊と考えられる。観応元年(一三五〇)と推定される六月二〇日の足利尊氏書状(三木家文書)に「諸軍勢為兵粮米二千俵大豆五百表、自園湊太田新九郎令奉行可差送之旨、吉田肥前江申付候」とあり、高師泰が石見三隅兼連を攻めるに際して、これを支援するため足利尊氏が出雲国守護代吉田厳覚に兵粮米二千俵と大豆五〇〇俵を園湊から送るように命じている。ただし、この文書は検討の余地がある。園湊は遅くとも、一四世紀半ば以前から存在し、中世前期からの要港であったと考えられる。園湊としてみえるのはこの文書が唯一であるが、元亀四年(一五七三)正月二七日に毛利家の神門かんど郡奉行の武広宗兵衛が西木工允に与えた書状(千家家文書)に「風呂屋孫左衛門居屋敷湊渡賃之儀、義広様御領分儀ニ候条、一通認致進上候」とあり、一六世紀後半にも園湊が存在していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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