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土佐光孚 とさ みつざね

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美術人名辞典の解説

土佐光孚

江戸後期の土佐派の画家。光貞の長子。幼名は虎若丸、字は子正、号は鶴皐。10才の時、新造内裏清涼殿の布障子に墨画名所図、仙洞御所小書院床張付小襖に花鳥を描く。絵所預・備後介・土佐守に任じられ、正四位下となる。嘉永5年(1852)歿、73才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

土佐光孚 とさ-みつざね

1780-1852 江戸時代後期の画家。
安永9年4月24日生まれ。土佐家の分家土佐光貞(みつさだ)の長男(一説に御園玄蕃頭(みその-げんばのかみ)の3男)。父の跡をついで絵所預(えどころあずかり)となる。寛政2年内裏造営の際,父とともに障壁画の制作にかかわった。嘉永(かえい)5年4月5日死去。73歳。号は鶴皐。名は「みつたか」ともよむ。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

土佐光孚

没年:嘉永5.4.5(1852.5.23)
生年:安永9.4.24(1780.5.27)
江戸後期の土佐派の画家。「みつたか」とも読む。土佐家の分家土佐光貞の子。幼名虎若丸,字は子正,鶴皐と号した。寛政2(1790)年の内裏造営に伴う障壁画制作に父と共に参加。正四位下,土佐守に叙任され,幕末京都画壇で重要な位置を占めた。<参考文献>大村西崖編『東洋美術大観』5巻

(榊原悟)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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