土光登美(読み)ドコウ トミ

20世紀日本人名事典 「土光登美」の解説

土光 登美
ドコウ トミ

昭和期の教育者 橘学苑校長。



生年
明治4年8月8日(1871年)

没年
昭和20(1945)年4月21日

出生地
岡山県御野郡当新田村(現・岡山市)

旧姓(旧名)
伏見

経歴
18歳の時、肥料仲買商の土光菊次郎と結婚。大正9年頃に上京し、事業に専心する夫に内助の功を尽くした。昭和15年に夫と死別し、その一周忌を機に女学校の設立を決意。以来、資金集めと土地の確保に奔走し、17年4月には横浜鶴見に4年制の女学校である橘学苑(現・橘女子高)を創立。「正しき者は強くあれ」をモットーとして生徒に農作業をさせたほか、当時廃止されていた英語の授業を復活、戦時下の混乱期にあって確固たる教育方針を示した。戦争の終結を見ずに死去次男実業家土光敏夫

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土光登美」の解説

土光登美 どこう-とみ

1871-1945 昭和時代前期の教育者。
明治4年8月8日生まれ。土光敏夫の母。昭和16年,亡夫・土光菊次郎の一周忌に念願であった女学校の創設宣言。ほとんど独力で寄付集め,諸交渉をおこない,17年横浜鶴見に橘女学校(現・橘学苑中学・高校)を開校。戦時下,「正しきものは強くあれ」という創立精神によって生徒の教育にあたった。昭和20年4月21日死去。75歳。岡山県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android