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土生玄昌 はぶ げんしょう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

土生玄昌 はぶ-げんしょう

1797-1866* 江戸時代後期の医師。
寛政9年生まれ。伯父土生玄碩(げんせき)の養子となり,文政7年幕府奥医師にすすむ。シーボルト事件に連座した玄碩とともに免職され,町医者となるが,天保(てんぽう)8年徳川家慶(いえよし)の侍医となり,眼病を治療した。法眼(ほうげん)。慶応元年12月死去。69歳。安芸(あき)(広島県)出身。本姓は野村。名は茂胤。号は鶏頭。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の土生玄昌の言及

【白内障】より

…日本では長く〈しろそこひ〉〈うみそこひ〉といわれ,江戸時代の眼科の名門馬島(まじま)流の元祖馬島清眼僧都は,白内障の針術を得意としていた。また幕末の眼科医土生玄昌(はぶげんしよう)(土生玄碩(げんせき)の子)には,白内障の臨床記録だけをつづった《白内翳手術人名》があり,白内障患者の多かったことが知られる。 ヨーロッパでは,2世紀のローマの外科医アンテュロスAntyllosが白内障の水晶体除去の手術を行ったといわれ,その後はインドやアラビアから伝えられた方法が,遍歴の眼科医師によって行われていた。…

※「土生玄昌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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